【事業コンサル|井上貴博】赤字の工務店を無償で救済。四つの事業を展開し、地元・岡山に経済循環を生み出す挑戦
岡山県を拠点に、全く異なる四つの事業を並行して手がける井上貴博さん。
東京のアルミ商社での営業、実家の調剤薬局・介護施設の経営サポート、自社のアルミ事業、そして経営者向けのコンサルティング事業と多岐にわたります。 一見バラバラに見える事業展開ですが、根底にあるのは「共に事業を行う仲間を増やしたい」「岡山で仲間と一緒に戯れよう」というブレない想いです。
かつて私財を投じて倒産寸前の工務店を救った原体験から、現在は「古典経営実践会」などを通じて、経営者の事業設計やマインドセットのサポートに注力しています。 最終目標は、「人を幸せにしたい本気の経営者」とともに幸せになること。そのために、まず30人の「人を幸せにする本気の経営者」を育て、その30人が各々30人の経営者を育てていく。この連鎖を広げていきたいと考えています。
複数の事業を同時に走らせる井上さんが描くビジョンと、現在に至るまでの歩みに迫りました。
アルミ商社での営業からコンサルまで。四つの事業を走らせる働き方
――井上さんは現在どのような事業を行っているのですか?
主に岡山県を拠点に、大きく分けて四つの事業を並行して行っています。一つ目はアルミ商社の営業、二つ目は実家の家業である調剤薬局と介護施設の運営、三つ目が自社のアルミ事業、そして四つ目が経営者向けのコンサルティング事業です。
――多くの事業を並行しているのですね。まずはアルミ商社の仕事について教えてください。
東京にある三協金属株式会社というアルミ商社に業務委託として所属し、営業を行っています。私のリソースの3割ほどを占めていますね。
扱っているのは、サッシや家の門柱などに使われる、定型的な形のアルミ形材です。そうした材料を仕入れ、場合により加工して、メーカーや加工業者に卸すのが商社の役割になります。金型を作ってしまえば継続的に流れる商品が多いので、日々の営業は基本的には電話やメールなどを活用し、オンラインで完結することが多いです。
――三つ目に挙げていただいた「自社のアルミ事業」とは、どのような違いがあるのですか?
商社で扱っている決まった形のものとは違い、「ダイキャスト」と呼ばれるオーダーメイドの部品を作っています。 分かりやすく言うと、アルミを金型に流し込んで作るプラモデルのようなものです。車の床材の取っ手や、歩行器の部品など、国内では対応が難しい少し複雑な部品の製造を受注し、加工業者とメーカーの間を取り持つ役割を担っています。自社の事業は、私の仕事全体のリソースの1割ほどですね。

――それぞれ役割が異なるのですね。実家の薬局と介護施設では、どのような業務を行っているのでしょうか。
こちらにはリソースの2〜3割を使い、バックオフィス業務と経営のサポートを行っています。
薬局は、玉野市の中核病院の門前にある調剤薬局です。介護施設では、リハビリや、軽度の方が今の生活状態を維持できるようにサポートする地域密着型の介護サービスを提供しています。私は現場の知識があるわけではないので、給与計算やハローワークへの申請といった総務的な実務のほか、事業所が目指す方向性に合わせて一緒に考えながら、経営面のお手伝いをしています。

経営者をサポートするコンサル事業と「古典経営実践会」
――四つ目のコンサルティング事業についても教えてください。
「古典経営実践会」と、個別コンサルやグループコンサルをセットで行う事業設計のサポートを行っています。元々は、精神と時の部屋(※)と北原さんのYouTubeで学んだことをアウトプットするために勉強会を開いたのが始まりでした。
最初は周りの困っている知人に声をかけ、個別でコンサルティングを始めたんです。しかし、ただ情報を整理して方法論をお伝えしても、実際に行動へ移す段階で感情の壁にぶつかる方が多いと気づきました。
そこで、個別ではなく複数名で行う講座やグループコンサルを取り入れました。同じように壁にぶつかっている仲間の姿を見ることで、自分自身の壁も少しずつ剥がれていく効果があると考えています。
※北原の精神と時の部屋:北原孝彦が代表を務めるビジネス塾。2020年に設立し、2024年11月にUBM(ビジネス行動管理大学)に改称。

――なるほど。もう一つの「古典経営実践会」とはなんでしょうか?
方谷學舎高等学校の小谷彰吾先生から教わる古典を通じた経営の原理原則をベースにしながら、実践的な三つの柱で講座を行っています。
一つ目の柱は、家族との時間など大事なものを優先して時間を組み立て、自分を整える「スケジュール作り」。二つ目は、お客様の悩みを深掘りして価値を生み出す「商品作り」。そして三つ目が、目の前の人の悩みを聞き、相談に乗ることで自然と仲間を増やしていく「人のご縁作り」です。


――ノウハウだけでなく、時間の使い方や人との関わり方も見直していくのですね。
そうですね。小谷先生は、廃部寸前の野球部を10年かけて甲子園へ導くなど、教育者としても素晴らしい実績をお持ちの方なんです。
先生が以前から開催していた塾は年配の方が中心で若い人が少ないのが悩みでしたが「経営者であれば学び続ける意欲があるはずだ」とお話しし、一緒に経営者向けの会をスタートさせました。
単にビジネスのノウハウを学ぶだけでなく、自分自身が何に時間を使っているのかを把握し、周りの方々と共に事業を作っていく土台を固める場所として運営しています。

製造業を経て岡山へ帰郷。倒産寸前の工務店を無償で救済した原体験
――井上さんのこれまでの歩みについてお聞きします。まず、新卒時代はどのようなお仕事をしていましたか?
25歳の頃に地元である岡山県の銀行に入行したのですが、1年経たずに退職してしまいました。その後、営業コンサルの会社に入り、そこからアルミメーカーへ出向したんです。そこで製造業の厳しい現実を目の当たりにしました。
当時はリーマンショックの影響もあり、アルミの需要が激減するなかで、思い込みや感情でどんどん値段が下がっていく業界の仕組みに疑問を感じていました。「こんな高い商品は売れない」と、メーカー側や加工会社の値段はどんどん下がっていく。しかし、メーカーとお客様の間に入る商社は儲かっていく。
こうした実態に「もう少し効率的にできないのか、根本の問題を解決できないのか」という思いを抱えながら、34歳の頃に当時のお客様だった、東京の金属商社に転職したんです。


――金属商社への転職後はいかがでしたか?
引き続き営業職として入社し、新規開拓を行っていました。個人としての成果は出たのですが、チームで動くことの難しさを痛感しましたね。
営業が自分を含めて3人しかいない会社だったので「3人なら簡単にチームを動かせるだろう」と思っていたんです。そこで「先輩、一緒に頑張っていきましょうよ」と半年ほど声をかけ続けたのですが、なかなか動いてくれませんでした。それどころか、まだ何も始めていないのに先輩から「井上くんに騙された」とまで言われてしまって(笑)。
――まだ何もしていないのに、ですか。
そうなんです。人は「自分にもできる」と思わないと動かないし、「できない」という強い思い込みや複雑な感情があるのだと分かりました。正論を伝えるだけでは人にやる気を出させられない難しさに直面しましたね。
その後、コロナ禍で仕事が落ち着いたタイミングと、実家の薬局の代替わりについて話が出た時期が重なり、子育ての環境も考えて2022年、40歳のときに岡山へ帰郷しました。
――では、その後は岡山で家業の薬局経営を?
はい。ただ、最初は別のスタッフが社長になる予定だったので、私はサポートに回るつもりだったんです。しかし状況が変わり、最終的に私が引き継ぐことになりました。
そこで、薬局の移転新築に向けて土地や建物を依頼する業者を探していたところ、現在のコンサル事業につながる大きな出来事があったんです。建物の建設をお願いしようと考えていた工務店さんが、多額の借金や税金の滞納などで倒産寸前だと分かりました。
――それは大変な状況ですね……。そこからどんな経緯で再建の支援をすることになったのですか?
最初は経営の相談を受けていたのですが、話を聞いていくうちに「このままだと土地も差し押さえられてしまう」という切羽詰まった状況で。
そこで、私が土地を買ってキャッシュを作り、そのお金で滞納していた税金や社会保険料を支払いました。一部の支払い先には私が直接交渉に行って減額してもらうなど、なんとか倒産を回避する道を探りましたね。
この工務店の再建は完全にボランティアで、1000万円ほどのリスクを背負いながら、経費もこちらで持ち出しという状態でした。

――ご自身の私財を投じての支援は、なかなかできることではないと思います。しかも無償で……そこまでできたのはなぜでしょうか?
当時は時間とお金に少し余裕があったというのもありますが、シンプルに目の前で困っている人がいたからです。隣でお腹を空かせている人がいて、自分がパンを持っていたら「食べる?」と渡しますよね。そんな感覚だったんです。
月報の活用と、徹底した実行力で工務店を黒字化へ
――工務店の再建を進めるなか、北原さんとはどのように出会ったのでしょうか。
実は東京から岡山へ帰る直前の頃から、北原さんのYouTubeをよく見ていたんです。
私は30代の頃から講演家の中村文昭さんという方のセミナーなどで学んでいたのですが、「北原さんは文昭さんの言っていることをリアルに言語化している」と感じました。「この人なら間違いない」と思い、工務店の再建をきっかけに、2023年の2月に精神と時の部屋に入会すると同時に、弟子になりました。

――入会後、どのようにUBM (※)を活用しましたか?
一番大きかったのは「月報」の存在ですね。入会から半年ほどは、自分の事業ではなく、工務店の再建状況をこと細かに報告していました。
一人で活動していると、自分を振り返って報告する場はなかなかありません。月報は、いい加減に書くとしっかり指摘されるので、緊張感を持って目上の方に接し、フィードバックを受けられる環境がとてもありがたかったです。
※UBM(ビジネス行動管理大学):北原孝彦が代表を務めるビジネス塾。2020年に「北原の精神と時の部屋」として設立、2024年11月に現名称に改称。

――これが当時の月報……資金繰りの整理や新規営業など、かなり具体的な行動を報告していますね。
そうですね。最初は銀行口座を見ても資金の出入りの数字が全然合わない状態からのスタートでした。工務店の社長とは、気持ちの面でぶつかることも多かったです。
あるとき、再建のヒントを探すために、かつてどん底から回復した経験を持つ鳥取県・米子市の工務店へ、一緒に話を聞きに行ったことがありました。その帰り道でも、私から社長に「もう、やらないならやめてしまえ。早くリセットボタンを押して来世に行った方がいいんじゃないか」と言ったこともあるほどで(笑)。
しかし、その車中で一緒に北原さんのYouTubeを見ていたら、突然彼が「スイッチが入った」と言い出して。
――そこから意識が変わったのですね。具体的にはどんな行動を?
たとえば、営業のサポートですね。現場にいる大工さんたちは職人気質で、どうしてもコミュニケーションに苦手意識がある方が多いんです。だからこそ、お客様のところへ私たちが同行して「このようにに話したらいいのでは?」と、営業の話し方を一緒に練習していきました。
北原さんから教わったことをそのまま実行すれば、誰でも結果は出せると信じていました。なるべくお金を使わないように、移動の際は私の車を使い、支払いや経理の管理も含めて、経営のすべてを一緒になって実践したんです。
――徹底的に伴走したのですね。その結果、工務店はどう変わりましたか?
当初は直近の案件が終わったら会社を私的整理……つまり倒産させて、そこから再起を図ろうと考えていたんです。しかし、北原さんの教えを二人で実行し始めたら、4カ月ほどで933万円の受注を獲得できました。
そこで「一人で経営している工務店でこれだけ売り上げが立つなら、倒産させなくても大丈夫なのでは」と考え、方針を変更しました。個人の借金などは整理しつつ、会社としては黒字になるまで持ち直すことができたんです。
ボランティアから「自分の役割」を見つけ、コンサル事業へ発展
――工務店の再建支援から、現在のコンサル事業へは、どのようにつながっていったのでしょうか。
以前は相談されるがままに、自らリスクを背負ってボランティアで再建を手伝っていました。
しかし、北原さんから「自分の業務として何を任されるのか、その範囲を決めなさい」と指導を受けていたんです。最初は言葉の意味がよく分かっていなかったのですが、人の支援ばかりではなく「自分自身の事業として何をするか」を少しずつ考えるようになりました。

――ご自身の事業として、コンサルティングを選んだのには、どのような経緯が?
実は当時、実家の薬局でカフェを始める計画があったのですが、それが頓挫し、少し時間に余裕ができたタイミングでもありました。本業であるアルミ商社の仕事をさらに伸ばす選択肢もあったのですが、アルミの営業はどれだけ売り上げが伸びても、一緒に動く「内側の仲間」は増えにくい構造だと気がついて。
私は、単にお金を稼ぐことよりも「共に事業を行う仲間を増やすこと」を大切にしたかった。コンサルティングであれば、目の前のお客様がそのまま仲間になります。それが一番の理由ですね。
――ご自身の役割を見つけたのですね。そこからどのように事業を形にしていきましたか?
2024年の2月頃、まずは身近な知人たちに声をかけて、友人の家でカレーを食べながら勉強会を開いたのが始まりでしたね。そこから5〜6人の方にモニターとして参加してもらい、個別コンサルを実践していったんです。こうした勉強会や個別コンサルを経て、現在の「事業設計サポート」へと発展していきました。
モニターのなかには、売り上げが20万円から7カ月で100万円を超えた方もいて、少しずつ手応えを感じていきました。ただ、成果が出た途端に「別のほうが儲かる」と離れてしまった方もいて、仲間作りの難しさを実感したタイミングでもありました。
それでも、最初に声をかけたときから2年以上もずっと続けてくれている方もいます。さまざまな経験を積み重ねるなかで、私の役割は、単なるノウハウ提供ではなく「仲間と一緒に事業を作っていくこと」なのだと、自分のなかで明確に定まっていきました。
岡山に経済循環を生み出す「1万8千人の仲間作り」

――改めて、井上さんが描く今後のビジョンについて教えてください。
私は「岡山で仲間と一緒に戯れようよ」というシンプルなテーマを掲げています。
自身の役割は「仲間と一緒に事業を作っていくこと」だと定めていて、単なるお金稼ぎよりも、仲間と一緒にいて安心できる関係性を何よりも重視しています。
まずは30人の本気の経営者を育成したいと考えています。そして、その人たちがさらに次、さらに次……と経営者を育てることで、最終的には岡山の労働人口の約2%にあたる1万8千人の本気の仲間を作るのが目標です。
――1万8千人!とても壮大な目標ですね。
そこまでいくと、岡山県内で良い経済循環が生まれると考えています。
私や仲間たちが関わる会社が地域に増えていけば、お金を投資したりサービスを受けたりするときに、全部その信頼できる会社を選ぶことができるようになる。いつ何時も本気の人たちに対応していただける環境があれば、とても幸せだと思いませんか?
――自分の利益だけではなく、地域全体の経済循環を見据えているのですね。
そうですね。たとえば私たちが所属しているアカデミー(※)でも、アカデミー生同士でただ仲良くなるだけでなく、お互いの事業や未来にどうつながるかを考え、ビジネスを高め合える関係性を作っていきたいですよね。
アカデミーにはさまざまな人がいるので「私を通せば事業がこう改善しますよ」と、ご自身のスキルと掛け合わせて提案できるようになると、お互いの未来にもっとつながっていくと思います。
お互いを高め合える良い関係性を、ぜひ作っていけると嬉しいです。
※北原孝彦アカデミー:UBM(ビジネス行動管理大学)の学びをベースにしながら、北原孝彦のより近くで学ぶ区画。北原氏が直接指導にあたる。メンバーは経営スキルだけでなく、人としての在り方を学ぶ。
取材を終えて
井上さんは、根っからの利他の人です。倒産寸前の工務店を、1000万円ものリスクを背負ってまで無償で救ったのも、「隣でお腹を空かせている人にパンを渡す」ような、ごく自然な感覚から。損得よりも先に、目の前で困っている人に手を差し伸べてしまう方なんだと感じました(アンパンマンのような方!)。
儲けたいではなく、仲間を増やしたい。そのシンプルな思いが積み重なって、いずれ岡山に1万8千人もの「本気の仲間」を生み出していくのだと思うと、なんだかワクワクしてきます。
(記事制作:ひとひら企画/インタビュアー:渡辺まりこ、人生の軌跡グラフ制作:Emodea・相場綾香)
※掲載情報は2026年6月現在のものです。最新情報は公式サイト等をご確認ください。

