【100本のバラ専門店|本間直紀】ドラマーの夢から花屋へ。5万本のバラと「一生の思い出」を届ける軌跡

父親から引き継いだ花屋「hanaha」の代表を務める傍ら、自身で立ち上げたプロポーズ特化の「100本のバラ専門店」や、特別なフラワーギフトを届ける「Dear Nina(ディアニーナ)」を運営する本間直紀さん。プロポーズの演出に伴走するだけでなく、そのノウハウを活かした同業者向けのコンサルティング事業など、幅広く活動しています。

そんな本間さんは、元々はプロドラマーを志しており、花屋を継ぐ気は全くなかったと言います。しかし、実家の経営危機に直面し、家族の貯金がわずか30万円という苦しい時期を乗り越え、北原氏からの学びを糧に、お客様に累計5万本のバラを届けるまでに飛躍を遂げました。

現在はオープンチャット「花ビジネスの学び場」を運営し、同業者の支援にも力を注ぐ本間さん。今後の事業にかける熱い思いと、これまでの歩みを聞きました。

「一生の思い出」を作る、バラ専門店

――まずは、本間さんの事業について教えてください。

「100本のバラ専門店」を運営しています。「一生の思い出を贈る」というコンセプトで、プロポーズに特化したバラの花束をお届けするサービスです。花束を販売するだけではなく「ずっと心に残る思い出」としてサービスを提供しています。

――素敵です!なぜプロポーズに特化しようと思ったのですか?

実は、最初のお客様は私自身だったんです。自分がプロポーズするときに、バラやラッピングについてこだわって調べたうえで、妻に花束をプレゼントしました。妻は、受け取るやいなや黙ってバラの花束を見つめて抱きしめ、顔を埋めていて。そこから涙がバラのうえに落ちていく光景が本当に綺麗でした。

この体験を通して、バラを作る人も、運ぶ人も、私たち花屋も、贈る人も受け取る人も、みんながハッピーになる仕事だと感じ、専門店を立ち上げました。

――商品やサービスにはどのような特徴があるのですか?

一番の特徴は、お一人おひとりにじっくり相談に乗りながら、バラの色や本数、ラッピングまで、想いを伝えるために最適な一束をお客様と一緒に考え、作り上げていくところです。

もちろん、バラの品質にもこだわってい厳選しています。国産のアマダや、輸入のフリーダム、エバーレッドなどが代表的です。バラは暑さに弱いので、桜前線のように時期に合わせてベストな産地から取り寄せています。お客様の要望に合わせて、青色のバラやかすみ草を入れた七色の花束を作ることもあります。

ラッピングにもこだわっていて、お渡しする指輪のブランドカラーに合わせたり、お好きなディズニープリンセスをイメージした色にカスタマイズしたりもできるんです。

――カスタマイズのご相談は、どのように進めるのでしょうか。

オンラインでご相談に乗り、花束のオーダーだけでなくサプライズの演出プランまで一緒に練っていきます。例えば、ホテルで夜景を見ながら思い出のスライドショーを流し、彼女が画面に集中しているあいだに花束を用意する……などのアドバイスを行っていますね。

また、最近ではプロポーズプランナーである「株式会社and more」の郡司美琴さんや、ダイヤモンド専門店「Jeweler’s room Shink」の大西良舗さんと一緒にお仕事をさせていただくこともあって。

彼らがプロデュースするプロポーズで、お花を担当させていただくようになりました。それを機に、チームで幸せのお手伝いをする喜びを知ったんです。お客様の不安を解消し、最高のプロポーズを生み出し続けるチームの一員として関わらせていただけることを誇りに思っています。

――素敵なチームですね。お客様からの反応はいかがですか?

プロポーズで涙を流して喜んでくださり、「一生忘れない思い出になりました」と言っていただけるのが何より嬉しいです。実際のプロポーズの様子や対談動画などは、私のYouTubeチャンネルでも発信しているので、ぜひ見ていただきたいです。

実店舗「hanaha」と、同業者を支援するコンサルティング事業

――ほかには、どんな事業を行っていますか?

東京都東村山市にて「hanaha」という創業50年以上の実店舗を運営しています。元々は父が立ち上げたお店で、私が二代目として引き継ぎました。

hanahaでは、岸田元総理や小泉進次郎防衛大臣など、著名な方への贈呈用花束をお任せいただくこともあるんです。

ほかにも、北原孝彦アカデミー(※)つながりのご縁で、須山彰人さんの出版講演会にバラを贈らせていただいたこともあります。著名な方から身近な仲間の晴れ舞台まで、大切な瞬間にお花を届けられるのは嬉しいですね。

※北原孝彦アカデミー:UBM(ビジネス行動管理大学)の学びをベースにしながら、北原孝彦のより近くで学ぶ区画。北原氏が直接指導にあたる。メンバーは経営スキルだけでなく、人としての在り方を学ぶ。

――素晴らしい実績ですね!お店の運営はご家族で行っているのでしょうか。

家族に加え、現在はスタッフのまゆさんにもとても助けられていますね。元々は彼女のおばあ様の代からのお客様だったのですが、2023年からスタッフとして働いてくれています。

彼女の優しさや気遣い、自ら考えて動く力に本当に救われています。お店のことを自分ごとのように考えて支えてくれるので、とても感謝しているんです。

――素敵なご縁ですね。

はい。事業については、実店舗のほかにも「Dear Nina」というサービスも行っています。妻の名前から名付けたサービスで、誕生日や記念日などに向けた特別なフラワーギフトを提供しています。毎年気持ちを贈り続けるためのお手伝いですね。現在は新しい取り組みとしてコンサルティング活動も始まっています。

――コンサルティング?どのような内容なのでしょうか。

お花屋さんやお花教室を運営している方向けのコンサルティングです。「100本のバラ専門店」や実店舗でのノウハウを活かして、自分のお店の看板商品を作るためのお手伝いや、経営のロードマップを一緒に引いて伴走しています。

お花そのものはすでに綺麗に完成されているので、「うちのお花綺麗ですよ」と並べるだけでは、他のお店との違いが分かりにくいんですよね。だからこそ、お客様が何を求めているのかを丁寧にヒアリングして、そのお店ならではの強みを活かした商品作りをお伝えしています。

現在は、お花関連の仕事をしている方なら誰でも参加できる「花ビジネスの学び場」というオープンチャットも運営しています。事業で行き詰まってしまったり、経営や商品作りに漠然とした不安を抱えたりしている方の考えを整理する場所になれば嬉しいですね。

ドラマーへの夢から一転。親孝行のために、実家の花屋へ。

――昔からお花屋さんを目指していたのですか?

いえ、全く違いますね(笑)。実家が花屋だということも、子どもの頃は恥ずかしくて隠していたほどです。私は長年ドラム演奏をしていて、プロドラマーになるためにイギリスの音楽学校への留学を志していました。

しかし、留学資金として貯めていた120万円以上のお金を先輩に騙し取られてしまって。出発の1カ月前に全財産がなくなって絶望しました。

当時、父とはそれほど仲が良くなかったのですが、留学を諦めると伝えたら「全額出してやるから行ってこい」と言ってくれたんです。初めて畳に額をこすりつけてお礼を言いましたね。おかげで無事に留学でき、現地の学校の卒業ライブではMVPを受賞できました。

――お父様、かっこいいですね。帰国後のことも教えてください。

帰国後も派遣社員として働きながら、バンド活動をしていました。しかし、あるとき母から「お父さんが『うちの花屋は俺の代で終わりかな』とぼやいていた」と聞いて。それが心に引っかかり、親孝行をしたいと思い、28歳のときに実家に帰りました。とはいえ、当時はバラとカーネーションの区別もつかない素人でしたね(笑)。

――そこからどのようにお花の面白さに目覚めていったのでしょうか?

何より大きかったのは「お客様に喜んでもらえる」と知ったことです。それまでは花に興味がなさすぎて、こんなにも喜んでもらえるものだとは思ってもみなかったんです。

また、初めて現金でお給料をもらったとき、お札からお線香の匂いがしたんですよ。そのとき、いつも来てくれるおばあちゃんのお金だとすぐに分かりました。「自分の給料の持ち主を全員知っている」という、自営業ならではの幸せに衝撃を受け、仕事にのめり込んでいきましたね。

それからは休みの日に学校に通ったり、雑誌を読みあさったりして勉強しました。

――温かいエピソードですね。それからはどのような経緯で経営を引き継いだのですか?

私がお店に入って数年経った頃、父がとんでもない「どんぶり勘定」だと気付いたんです。緊急で家族会議を開いて全員の貯金額を確認したら、合わせて30万円しかありませんでした。

実家のローンも1000万円ほど残っていたので「立て直しが必要だ」と、以降は私が実質的な経営を担うことになりました。

北原氏の教えからプロポーズに特化。自己流を手放し一気に飛躍

――その後は順調にお店を立て直せたのでしょうか?

いえ、一番どん底だった頃よりは回復していましたが、まだまだ打ち手が欲しいと模索していました。また、当時はちょうど今の妻と付き合っていた頃で。結婚したいけれど収入が十分ではなくて「これでは無理だろうな」と、自分で壁を作って諦めかけていたんです。

しかし、親友の一人に「仕事さえうまくいけば結婚できるだろ。好きなんだろ、やれよ」と言われてハッとして。そこからスイッチが入り、打開策を探すなかで出会ったのが北原さんでした。

――北原さんとは、どのように出会ったのですか?

別のコンサルティングのオンラインセミナーのアーカイブ動画で、たまたまゲスト出演している北原さんを拝見したんです。どんな質問にも明確な理由とともに答えていて「こんな素晴らしい人、初めて見た」と衝撃を受けました。

すぐに北原さんを検索して、当時は無料で参加できた「北原メシ」(※)という壁打ち会があると知り、2019年に小岩のレストランへ会いに行きました。

※北原メシ:「北原の精神と時の部屋」の前身となったビジネスコミュニティ。北原孝彦を囲って食事をしながら、事業つくりにキーポイントとなる3要素、プロダクト、マーケティング、経営を学ぶ会。

――壁打ち会ではどのようなお話を?

当時立ち上げたばかりだった「100本のバラ専門店」について相談したところ、ズバリ「プロポーズに特化しなさい」とアドバイスをいただきました。Webサイトを作って販売し始めたものの、コンセプトがまだぼやけている状態だったんです。

北原さんの一言で方向性が明確になり、そこからプロポーズに特化したLPを作ったり、手厚いサポートを取り入れたりしていきました。

――その後、どのような変化がありましたか?

事業が一気に軌道に乗り、確かな手応えを感じるようになりました。その後、新宿の伊勢丹さんでVIP向けのイベントに出展させていただいたり、累計で5万本以上のバラを制作するブランドにまで成長しました。2021年1月には「北原の精神と時の部屋(※)(現UBM)」に入会し、北原さんのYouTubeチャンネルにも2回出演させていただいています。

※北原の精神と時の部屋:北原孝彦が代表を務めるビジネス塾。2020年に設立し、2024年11月にUBM(ビジネス行動管理大学)に改称。

――大きな飛躍ですね!

しかし「Dear Nina」を立ち上げた際にも、かなり苦戦していて。「Umineko美容室」などのブランドプロデューサーである古瀬ハナさんにプロデュースをしていただいたのですが、当時の私は「花屋なのだから、花で勝負したい」というプライドがあったんです。苦手だったラッピングなどのトータルコーディネートから逃げていたんですよね。何度もダメ出しを受けて、心が折れそうになりました。

しかし、途中で「こんなプライドは何の役にも立たない」と気付いたんです。自分のやり方に固執するのをやめて「折れるが勝ちだ」と受け入れました。そこからラッピングなどを含めてトータルで整えることの重要性を学び、今のカスタマイズサービスにもつながっています。

「お金を追う人ですか?」どん底で気付いた、利他の精神

――事業を成長させていく過程で、ほかに葛藤はあったのでしょうか?

自分の「あり方」を見つめ直すような、大きな出来事がありましたね。2021年の秋頃、コロナ禍の影響で、突然お店の前が全面駐輪禁止になってしまったんです。ロープが張られて、自転車を止めようとするお客様と見回り係の人が毎日怒鳴り合うような状況で。当然、売り上げも激減しました。

当時は1人目の子どもが生まれて半年ほどで、「稼がないとまずい」と焦り、お金ばかりを見て利己的になってしまった時期があったんです。

――そうだったのですね。そこからどのように抜け出したのでしょうか?

北原さんから「本間さんは、お金を追いかける人ですか?」と連絡をいただいたんです。その一言でハッとしました。自分でもそんな状態は嫌だったのに、傍から見てもそうなっていたんだ、とショックを受けて。

しかし、そのおかげで「お金は一時的にお預かりしているものだ」と考え方を正し、人のためにどう使うかを考えられるようになりました。また、苦しい時期を支えてくれた妻の存在も大きかったですね。

――奥様とは、どんな会話がありましたか?

経営が苦しくて「あと何カ月でまずいかもしれない」と、家で具体的な数字を出して弱音を吐いてしまったことがありました。そのとき妻は「そっか」とだけ言って、翌日私が家を出るときに「たくさん失敗してらっしゃい」と送り出してくれたんです。本当に救われましたし、今でも私の座右の銘になっています。

実は、そのほかにも妻には感謝してもしきれない出来事があるんです。

――どのようなことでしょうか?

妻が二人目の子どもを妊娠していたとき、トイレのなかで赤ちゃんを流産してしまったんです。小さな命を一生懸命探して「やっと会えたね、可愛いね」と声をかける妻の愛情の深さに、私は心が追いつかなくて。

ショックを受けつつも、翌日に大事な仕入れがあった私は、妻を置いて仕事へ逃げてしまったんです。妻には何も言われなかったものの、深い後悔に襲われて、目も合わせられませんでした。しかし、のちに謝罪したとき、妻は「全然気にしてないよ」と許してくれて。

妻への申し訳なさから仕事にも身が入らなかったのですが、北原さんのマネージャーの山田慶さんとUBM(※)合宿スタッフをしていた丸地かなさんが、この話を聞いてくださったんです。ボロボロ泣きながら話す私を受け止め、「その話、発信してみたらどうですか」と背中を押してくれて。

ビジネスのノウハウだけでなく、家族のことなど人生全体を見て支えてくれるこの環境の温かさに、本当に救われました。

※UBM(ビジネス行動管理大学):北原孝彦が代表を務めるビジネス塾。2020年に「北原の精神と時の部屋」として設立、2024年11月に現名称に改称。

花ビジネスの仲間と共に。挑戦する背中を見せ、幸せを生み出す

――さまざまな壁を乗り越えてこられた本間さん。お花の事業のきっかけとなったお父様からの反応はいかがですか?

直接褒められたことは一度もありません。しかし、父の友人づてに「自分の息子とは思えないほど、よくやってくれている」と言っていたと聞いて、思わず泣いてしまいましたね。

お父様と本間さん

――素晴らしい親孝行ですね。

そうだと嬉しいですね。以前、高田純次さんのテレビ番組「じゅん散歩」の取材が突然お店に来たことがあって。そのとき父も少しテレビに映ったのですが、周りの人に言いふらしていて、とても嬉しそうでしたね。

hanahaの経営は私が担当していますが、父にはもともと彼が得意な「お供え花」を作ってもらっています。父はもう78歳の職人なので、最後まで無理なく、父が得意な仕事で活躍し続けられる環境を守っていくことが、私にできる親孝行かなと思っています。

――温かい思いですね。最後に、本間さんの今後の目標を教えてください。

現在運営しているオープンチャット「花ビジネスの学び場」に、お花屋さんやお花教室など、花ビジネスに関わる人を1000人集めたいです。そして、過去の私のように「こんな収入だから無理だ」と環境に限界を感じて諦めている人たちを、経営面から支援していきたいですね。

そして、ノウハウを伝えるだけでなく、一緒に成長していける存在になりたいです。これからも私自身が挑戦する背中を見せながら、関わるすべての人と一緒に幸せを生み出し続けていきたいですね。


取材を終えて

本間さんの話で一番グッときたのは、創業者であるお父様との距離感でした。直接褒められたことは一度もないのに、友人づてに「自分の息子とは思えないほど、よくやってくれている」と聞いて泣いてしまったというエピソード……!親子愛を感じました。

しかも、経営は自分が担いながらも、78歳のお父様には得意な「お供え花」を任せ続けているという心配り。無理に引退させるのではなく、最後まで活躍できる場所を守っているところに、本間さんの優しさが表れているなと感じました。

(記事制作:ひとひら企画/インタビュアー:渡辺まりこ、人生の軌跡グラフ制作:Emodea・相場綾香)

※掲載情報は2026年6月現在のものです。最新情報は公式サイト等をご確認ください。