【なんでもバックオフィス|前原しおり】「まず自分を大切にする」。自己犠牲を続けた彼女が見つけた、人を支える働き方
東京都を拠点に「なんでもバックオフィス」を運営する前原しおりさん(通称しおんさん)。Webサイト制作や動画編集、AI活用、イベント運営など幅広い業務を手がけ、「誰かやってくれないかな」という業務の悩みに寄り添いながら、副業やフリーランスを目指す人の挑戦を支えています。
そんな前原さんですが、その裏側には、長年「自分よりも誰かを優先する」生き方がありました。複雑な家庭環境で育ち、人を支えることが自分の役割だと思い続けた結果、仕事でも責任を一人で抱え込み、心身ともに限界を迎えたこともあったといいます。
転機となったのは、北原孝彦さんとの出会いでした。「まずは自分を大切にすること」という考え方に触れたことで、働き方も人生も大きく変化。人を支えることを使命に歩んできた前原さんは、どのような「本当の優しさ」を見つけたのでしょうか。その歩みと未来への想いに迫ります。
「誰かやってくれないかな」の悩みを解決する「なんでもバックオフィス」
――まずは、前原さんの事業「なんでもバックオフィス」について教えてください。
「なんでもバックオフィス」は、その名の通り「誰かやってくれないかな」と思う仕事を、幅広く引き受けるサブスクリプション型のサービスです。
月額2万円からで、Webサイト制作や資料・スライド作成、動画の企画・撮影・編集、AI活用、イベント運営まで幅広く対応しています。
例えば、勉強会の運営サポートやYouTubeチャンネルの企画・編集、会社の幹部会議の議事録作成、動画や紙面のマニュアル制作、LPのリライトなど「これをお願いできる人がいたら助かる」という仕事に柔軟に対応しています。

――とてもリーズナブルですよね。料金設定には、どんな意図が?
今(2026年7月現在)は事業を立ち上げて間もないので、信頼していただくための期間として「何でもやらせてください」という気持ちで取り組んでいます。今後は、料金・サービス内容に磨きをかけ、よりサポートできる事業をつくっていきたいと思っています。また、すべての仕事を私一人で行っているわけではありません。エンジニアやデザイナーなど、それぞれ得意な分野を持つ仲間と一緒に取り組んでいます。
メンバーのなかには、本業で実務経験があっても個人で仕事を受ける自信がなかったり、フリーランスや副業に興味があっても始め方が分からなかったりする人もいます。私が窓口となって仲間にも仕事を渡すことで、事業を始めてみたい人の実績作りの場になっているんです。

――仕事を受けるだけではなく、仕事が生まれる場を作っているんですね。
はい。私がこの事業を通して実現したいのは、単に業務を代行することではなく、一歩踏み出せない人や自分の強みを仕事にしたい人が、安心して挑戦できる場所を作ることなんです。
2026年8月には、コミュニティ「しおんクラス」をスタートさせました。まずは自分の土台を作って、生活、仕事だけでなく、人生軸上で共に生きていけるプラットホームをつくっていきたいと考えています(しおんクラスから、なんでもバックオフィスの仲間になっていくイメージです)。
そのなかで私が一番大切にしているのは、心理的安全性。どんなときでも仲間たちの味方でいること、見捨てないこと、向き合い続けること。そんな環境があるからこそ、人は安心して挑戦できると思っています。

「安心して挑戦できる場所を作りたい」。原点にある、人に救われた経験
――現在の事業や組織作りには、何か前原さん自身の経験が関係しているのでしょうか。
はい。今の私の価値観はすべて、子どもの頃の経験につながっています。
私は7人兄弟の末っ子なのですが、家庭環境は決して穏やかではありませんでした。家族仲もあまり良くなく、実家が24時間営業の託児所を営んでいたため小さい子どもも多くて。末っ子でありながら長女のような役割をしたり、家のなかの空気を読んだりするのが当たり前だったんです。
兄弟の間に入って揉め事を収めようとしたり「私が何とかしなきゃ」と思ったり。まだ小学生なのに、自分より周りを優先することが癖になっていました。

――当時は、どんな気持ちで過ごしていたんでしょうか。
ずっと「誰も私を見てくれない」と思っていました。兄弟と比べられることも多くて、自己表現もうまくできなかったんです。自分が何を感じているのか、何をしたいのかよりも「周りがうまくいくこと」のほうが大事になっていました。
今振り返ると、自己犠牲の始まりだったと思います。正直、グレた道に進んでもおかしくない環境でしたね。

――大変な環境だったんですね。そんななかでも、人を大切にする価値観を持ち続けられたのは、なぜでしょうか?
家庭では「自分は必要とされていない」と思っていましたが、真正面から向き合ってくれる友達や先生がいたんです。誰かと比べることなく、私を一人の人間として見て、話を聞いてくれる。その経験を通して「自分を見てくれる人がいる」ということに気がつき、救われました。
そんな経験から、現在の「心理的安全性を大事にしよう」という価値観が生まれたのかもしれません。安心して挑戦できて、失敗しても責められない。誰かが一人で抱え込まなくていい組織を作りたいと思っています。子どもの頃の私が周りの人に支えてもらったように、誰かにとって安心できる場所を作る側になりたいんです。

先生を目指した原点から、写真スタジオで見つけたやりがい

――今の事業を始めるまでに、どんな道を歩んできたのでしょうか?
もともと子どもの頃は、中学校の先生になることを目指していたんです。
小学4年生から習っていた茶道の先生が、私を孫のように可愛がってくれて、家庭では感じられなかった安心感を与えてくれました。その先生が元小学校の先生だったこともあり「私もこんなふうに誰かの人生に寄り添える大人になりたい」と、先生を目指すようになりました。
さらに中学生の頃「なんでこんな人が先生なんだろう」と思ってしまうような先生に出会ったんです。「自分が教師になることで、この先生に出会う子どもを一人でも減らせるなら」と、より強く先生を目指すようになりました。
――では、新卒時代は学校の先生に?
いえ、実は全然違う仕事に就いていて。家計が苦しく大学進学も厳しい状況だったので、夜間の大学に通いながら、昼間は写真スタジオ、深夜にファミレスでアルバイトをしていたんです。写真スタジオの仕事がとても楽しくて、卒業後はそのまま就職しました。
撮影だけではなく、ヘアメイクや着付け、商品の提案まで担当していました。七五三や誕生日、結婚記念日、ときには遺影撮影まで。お客様の人生の節目に寄り添えることに大きなやりがいを感じていましたね。
さらに、スタッフみんなで店づくりや売り上げ管理にも取り組み、「お客様から愛されるお店」をチームで育てていく感覚がとても楽しかったんです。

――前原さんにぴったりのお仕事だったんですね。
敬語も話せず、挨拶もできなかった私に、山下店長はどんな時も「しおりんならできる!」と信じて指導してくださいました。そのおかげで、22歳で店長を任せていただくことができました。
山下店長から教わった「どうすればスタッフが働きやすくなるか、お客様にもっと喜んでいただけるか」という視点を大切に、日々お店づくりに向き合っていました。
私は昔から、目の前の人が笑顔になってくれることが何より嬉しいんです。先生を目指していたときも、写真スタジオで働くことを選んだときも、根本にあったのは「誰かの力になりたい」という想いでした。
「私が何とかしなければ」。人を優先し続けた先で、心が限界を迎えた
――店長になってからのことも教えてください。
店長になった翌年には、全国転勤で4年間に5店舗の立て直しを任されました。「困っている店舗があるなら力になりたい」という想いから、どんな辞令でも引き受けていたんです。
なかでも大変だったのが石川の店舗への異動でしたね。繁忙期の七五三シーズンに人手不足の店舗へ配属され、休みもほとんど取れないまま、一人で撮影や予約対応に追われる毎日でした。
ようやくスタッフが育ち「これからもっと良いお店にできる」と思った矢先、また別の店舗へ異動に。またゼロから立て直す。その繰り返しでした。

――なかなか気持ちが休まらないですね……。
そうですね。「私が何とかしないと」という気持ちがどんどん強くなっていました。
2店舗を兼務しながら、スタッフ教育やクレーム対応なども担当し、休みは月に4日ほど。上司へ「もう限界です」と伝えても状況は変わらず、他店舗への応援や教育で自分の店舗を空けることが増え、スタッフから不満の声も上がるようになってしまいました。
「困っている人を助けたい」と頑張ってきたはずなのに、誰の期待にも応えられていない。そんな状況に、仕事は大好きなのに、働いているだけで涙が出るようになってしまったんです。

――当時は、どんな心境だったのでしょうか。
「お客様に喜んでもらいたい」「スタッフが働きやすい環境を作りたい」という、自分が大切にしてきたことを実現できなくなったことが、何より苦しかったです。
「誰かのために頑張ること」が当たり前になりすぎて、自分が壊れかけていることにも気づけていませんでした。まさに、自己犠牲の働き方だったと思います。その結果、適応障害と円形脱毛症を発症しました。
さらに、根気強く育ててくださった山下店長から数多くのことを教わってきたのに、顔向けできない状況になってしまったことも、深く心に重くのしかかっていました。
石川県の店舗を「離れたい」と1年近く訴え続け、ようやく九州の店舗へ異動することができました。ところが、そこでも店の立て直しを任されることに。環境はとても良く、「やってやるぞ!」という気持ちもありました。それでも、身体と心が追いつかず、限界を感じて退職を決めました。
環境を新たにしても変わらなかった「自分を後回しにする」働き方
――写真スタジオを退職後は、どのように過ごしたのですか?
退職後は上京し、コールセンターやスタートアップ企業、採用支援会社などで働きました。
もともと「将来は地元の鹿児島へ戻って独立したい」という想いがあり、そのためにもWebやクリエイティブのスキルを身につけたいと考えていたんです。「東京なら新しい仕事に挑戦できるかもしれない」と思い、新しい環境へ飛び込みました。
最初は思うような仕事ができない時期もありましたが、その後はSNS運用やカスタマーサポート、採用サイトや会社説明資料の制作など、少しずつ思い描いていた仕事に携われるようになりました。

――環境が変わって、気持ちの変化はありましたか?
新しいことを覚えるのは楽しかったし、忙しく働くことにも抵抗はありませんでした。「ようやくやりたかった仕事ができている」という感覚もありましたね。
しかし、写真スタジオを辞めて環境を変えても、結局また同じように自分を犠牲にして働いていたんです。
私はもともと仕事が好きで、忙しい環境でも「自分なら大丈夫」と思ってしまうタイプなんです。誰かに頼られると「力になりたい」と思って、自分のキャパシティを超えていても頑張ってしまう。それが癖になっていて、気づけばまた自分のことを後回しにしていました。

――環境は変わったのに、また同じ苦しさを繰り返していた……?
はい。当時の私は、原因は自分の働き方ではなく、環境にあると思っていたんです。「もっと自分に合う会社があるはず」「環境を変えれば、もっと楽しく働けるはず」と考えていましたね。当時は、自分より周りを優先する考え方そのものが、自分を苦しめているとはまったく気づいていませんでした。
「まずは自分を満たす」。北原孝彦さんとの出会いで変わった生き方

――自己犠牲を続けてきた前原さんが変わったきっかけは、何だったのでしょうか?
北原さんを知って、UBM(※)に入ったことです。北原さんを通じて「自分を大切にする」ということを考え始めました。
北原さんのことは、YouTubeで「救済企画」の動画を見たことをきっかけに知りました。実は、2023年6月に姉が自ら命を絶ち「姉と同じような選択をする人を一人でも減らしたい」という想いが強くなっていた頃で。ちょうどそのとき、YouTubeのおすすめ欄に北原さんの動画が流れてきたんです。
一見厳しく見える言葉の奥に深い愛情を感じ「ここまで本気で人と向き合える人がいるんだ」と衝撃を受けましたね。
※UBM(ビジネス行動管理大学):北原孝彦が代表を務めるビジネス塾。2020年に「北原の精神と時の部屋」として設立、2024年11月に現名称に改称。
――UBMに入ろうと思った決め手は何だったんでしょうか。
それまでの私は「“人を大切にしたい”という考え方はきれいごとなのかもしれない」と悩んでいて。しかし、北原さんの発信に触れて、私が大切にしてきたことは間違っていなかったと思えたんです。
北原さんの考え方をもっと学びたいと思い、2025年10月にUBM、12月に北原孝彦アカデミー(※)(以下、アカデミー)へ入りました。

※北原孝彦アカデミー:UBM(ビジネス行動管理大学)の学びをベースにしながら、北原孝彦のより近くで学ぶ区画。北原氏が直接指導にあたる。メンバーは経営スキルだけでなく、人としての在り方を学ぶ。
――実際に北原さんのもとで学んで、変わったことは何でしたか?
やはり「自分を大切にする」という考え方ですね。私はずっと、人のために頑張ることが正しいと思って生きてきましたが、北原さんから「自分を満たせていない人は、長く人を助け続けることはできない」と教えていただいたんです。
その言葉で、写真スタジオでも、その後の会社でも、自分を後回しにしてきたことに初めて気づきました。環境だけではなく、自分を後回しにする考え方が、私を苦しめていたんです。
――考え方が変わり、行動にも何か変化はありましたか?
はい。まず始めたのは「断ること」を覚えることでした。無理な予定は入れず、すぐには引き受けない。以前は断るのは申し訳ないと思っていましたが、今は自分の心を守ることが、結果的に周りの人を支えることにつながると考えられるようになりました。
自分を大切にすることは、決してわがままではない。人を大切にし続けるためにも、まずは自分自身を満たすことの大切さを、北原さんが教えてくれました。
また、北原さんからの勧めでUber Eatsを始めたり、「どん底フェス」への登壇や北原さんのYouTube出演したりなど、新しい挑戦もさせていただきました。どん底フェスでは約80名の前で過去の経験を語り「しおりさんみたいになりたい」と言っていただけ、自分の苦しい経験も誰かの背中を押す力になると実感できましたね。


――北原さんの教えが、今の事業や価値観にもつながっているのですね。
そうですね。実は、私の事業である「なんでもバックオフィス」も北原さんから提案していただいたんです。私のこれまでの経験や得意なことを活かせる仕事として「しおりに合っているよ」と言ってくださって。自分では思いつかなかった選択肢でしたが「それなら挑戦してみよう」とすぐにスタートしました。
仲間とともに「安心して挑戦できる場所」を作る

――アカデミーに入ってから、周りの方とはどんな関わりが生まれましたか?
今では、アカデミーの方々のお仕事をお手伝いする機会も増えました。介護・医療の清掃会社を営む戸津井伸さんの議事録やマニュアル制作、起業コンサルタントである伊藤梓さんのスライド制作、バックオフィス事業を営む平井裕さんのLPリライト、下川千里さんのレッスン撮影やInstagram投稿用テンプレ作成などを担当しています。
仕事以外でも、周りの方にたくさん支えていただいています。川島章弘さんにはUber Eatsで使っていた自転車を譲っていただきましたし、花岡綾子さんや三上かおりさん、羽田 文人さん、中村 美智也さんなどたくさんの方に気にかけていただき、応援し合いながら、日々1mmの前進ができています。

――誰かを支えるだけではなく、周りから支えてもらうことも増えたんですね!
はい。以前は「もっと頼って」と言われても一人で抱え込んでいましたが、今は周りの人の支えを素直に受け取れるようになりました。だからこそ、自分の成長も自分だけのためではなく、支えてくれる人たちに行動で返していきたいと思っています。

――最後に、今後の展望を聞かせてください。
お互いに支え合いながら、それぞれがやりたいことに安心して挑戦できる場所を作りたいです。
私自身、どうしたらいいか分からず立ち止まっていたときに、周りの人に支えてもらったからこそ、一歩ずつ前に進むことができました。今度は私が誰かの背中を押せる存在になりたいと思っています。
「変わりたい」「何か始めたい」と思っていても、一人ではなかなか踏み出せないこともあります。そんなときに「しおんのところなら大丈夫」と思ってもらえるような、昔の自分のように一歩踏み出せない人の居場所を作りたいです。
取材を終えて
「自分を満たせていない人は、長く人を助け続けることはできない」。北原さんのこの言葉で、しおんさん(前原さん)が自分を後回しにする癖にようやく気づけたというエピソードが心に残りました。
人を大切にすることと、自分を大切にすることは、決して矛盾しないんだなと。周りを優先することが当たり前だった前原さんが、断ることを覚え、自分を満たしながら人を支えられるようになった姿から、私も学ばせていただきました。
(記事制作:ひとひら企画/インタビュアー:渡辺まりこ、人生の軌跡グラフ制作:Emodea・相場綾香)
※掲載情報は2026年7月現在のものです。最新情報は公式サイト等をご確認ください。
