【食虫植物文化プロデューサー|南あこ】文化をみんなで守り抜く!先人のバトンを120年先へつなぐ取り組み

東大阪で、食虫植物専門店「Heli’s Garden」を営む南あこさん。全国の愛好家とのネットワークを武器に、市場には出回らない希少な株の販売のほか、イベントの主催、大学との共同研究支援など、食虫植物文化を守るインフラ作りに奔走しています。

かつては不動産会社に勤める会社員でしたが、大切な仲間の急逝をきっかけに「先人が紡いできた歴史や情報を絶やしてはいけない」と使命感を抱き、起業を決意 。しかし、お店をオープンして間もなく大事故に見舞われ、一人ですべてを背負う経営の限界に直面します。

そんななか、北原孝彦さんに出会い「仲間と育む」をテーマにビジネスを学び始めました。プレイヤーを離れ、次世代へ歴史のバトンをつなぐ「植物文化プロデューサー」へと進化を遂げた南さんの情熱と歩みに迫ります。

全国の愛好家から希少な食虫植物が集まる「Heli’s Garden」

―― 幅広く活躍中の南さん。具体的にどんなことをしているのですか?

いろいろやっていますが、軸はすべて食虫植物です。大きく分けると、食虫植物専門店「Heli’s Garden」の経営と、そこから派生した植物文化のプロデュースの活動ですね。

イベントや即売会の企画や栽培教室、自生地を巡るツアーの開催、オンラインコミュニティの運営など、食虫植物愛好家に求められることに応えていくうちに、活動が広がっていきました。植物を売るだけでなく「その背景にある文化や情報を次世代へつなぐためのインフラ作り」といったイメージです。

―― 食虫植物の「専門店」というのを初めて聞きました!

食虫植物の専門店と銘打っているのは、うちを含めて全国に2軒しかありません。2023年6月にオープンした「Heli’s Garden」は、8畳ほどの店内に置いてある9割が食虫植物という、かなり尖ったお店なんですよ。

―― 9割!全部で何種類の植物があるのでしょうか。

実は、正確な数は私も把握できていないんです(笑) 。多いときには1000鉢を超えていると思いますが……たとえば、ウツボカズラだけでも180種類以上あります。うちは一般的な市場から仕入れてくるスタイルではないので、そのときどきで顔ぶれが変わるんですよ。手に入らないもののほうが少ないと思います。

―― 市場を通さない仕入れ、というと?

私を信用してくれている全国の愛好家たちから、余剰した株を譲っていただいています。現在、ガッツリと取引している愛好家は全国に40名ほどいらっしゃいますね。

愛好家にとっては、珍しい植物はオークションなどで売った方がお金になるかもしれません。でも「信頼できるところに託したい」と、私のもとに送り届けてくださるんです。なかには、大昔にレジェンド級の愛好家が海外から持ち帰った増殖株も。

育てやすいものから特定の場所でしか手に入らないレアなものまで、食虫植物の多様性が詰まっています。

2000人を動員する「食虫植物祭」からDNA研究まで、多様な活動展開

――店舗経営のほか、大規模なイベントを主催していますよね。

はい、オンリーイベント企画は大きな柱のひとつです 。もともとは2022年、私のメンターである土居寛文先生の還暦祝いをしようと、飲み会を企画したのがきっかけでした 。

気がつけば参加者がどんどん増えて「それならいっそイベントにしよう」と始まったのが、食虫植物界の聖地「兵庫県立フラワーセンター」とタイアップした「食虫植物祭」です。

――「飲み会」が、植物園を巻き込んだイベントに?

最初は親睦会のような形でしたが、せっかく全国から熱心な愛好家が集まるならと、植物の販売会や、ウツボカズラのギネス記録を持つ土居先生の講演会も盛り込みました。もともと土居先生は、兵庫県立フラワーセンターの職員の次長だったんです。

2024年には2000人規模の来場者を迎えるまでに成長し、今や業界内でも非常に熱量の高いイベントになっています。

2023年には世界中の参加者を自生地へ案内する「食虫植物国際会議」も開催しました。世界中の愛好家が集まって研究発表を行う、まるで国際学会のような場です。発表・講演・展示・販売・見学などが盛り込まれています。私はスタッフとしてだけでなく、自生地と植物園へのアテンドを担当しました。

―― 自治体と連携したイベントも開催しているそうですね。

はい。姫路城の見える場所で「奇草天外」というイベントを商工会議所の方々と協力して開催しています。私ひとりではできないことも、自治体やJR、植物園など、多くの方々を巻き込むことで、より多くの方に植物の楽しさを伝えられると考えています。

また、最近は気候変動が激しく、外で植物を育てることが難しくなっています。そこで、ガラス容器の中に熱帯雨林や湿地の環境を再現する「パルダリウム」のワークショップも行っているんです。時代に合わせて植物との新しい接点を提案していくのも、私の役割だと思っています。

―― 「植物文化プロデュース」の言葉通り、まさに文化を広める活動ですね!

はい、だからこそ植物の保全活動にも力を入れています。希少な植物の自生地が、太陽光パネルの設置などで壊されてしまう現状があるんです。「ここに行けばこの植物がある」と聞いていても、気づけばなくなっていた……ということも少なくありません。

そのため、定期的に自生地を巡回して記録を残したり、地権者の方に「ここには貴重な植物があるから潰さないでほしい」と啓発活動を行ったりしています。同時に、趣味家やバイヤーによる盗掘・山採りといった意識の低さとも戦っています。自然保護の原理原則や自然との向き合い方を仲間に伝え、みんなを巻き込みながら意識を統一して守っていく——それも私の使命だと感じています。 

―― 大学と連携した研究サポートもしていると聞きました。

茨城大学さんと協力して、ウツボカズラの性別をDNAで判別する研究を進めています。ウツボカズラにはイチョウのようにオス・メスがあります。しかし、花が咲くまでの期間が長く、それまで性別が分からないと、いざ自生地が壊れたときに次世代を残せなくなるんです。こうしたディープな研究情報などは有料のコミュニティで共有し、より深い知識を求める方たちとつながっています。

初心者の愛好家には無料でLINEのオープンチャットを開放し、24時間いつでも質問できる場所を用意しています。もともとは私のSNSに質問をいただき、すべて一人で回答していたのですがキャパオーバーになってしまって……。「愛好家仲間たちにも答えてもらえばよいのでは?」と考えて、オープンチャットを開設しました。

食虫植物の過酷な環境で生き残る姿に、自分を重ねて

―― 南さんのこれまでについてもお聞きします。食虫植物に惹かれたきっかけは何だったのですか?

出会いは、幼少期に祖父からもらった植物図鑑でした。当時は「ジャングルの奥地にある恐ろしい植物」というイメージで、自分で育てられるものだとは思ってもいませんでしたね。

25歳の頃、母と通っていた生け花教室にあった植物園のチラシに惹かれて、展示会に足を運んだのが、運命の分かれ道でした。実際の食虫植物を見て、心を射抜かれてしまったんです。その日の帰り道には園芸店をハシゴして、気づけば車の後部座席が11鉢の食虫植物で埋まっていました。

――11鉢!食虫植物のどんなところに魅力を感じたのでしょうか。

最初は、B級ホラー映画に出てくるような、怖くてかっこいい見た目に惹かれました。でも、調べていくうちにイメージが180度変わったんです。

彼らは決して「最強の草」ではなく、ほかの強い植物に居場所を奪われ、栄養のない湿地などに追いやられてしまった「弱者」なんです。

――弱者、ですか……?

はい。そんな過酷な環境で生き残るために、必死に虫を捕らえて栄養にする。その姿は、まさに健気な「下克上」です。そんな彼らの生き様を見ていると「自分も頑張ろう」と勇気をもらえる。それが私にとって、食虫植物の最大の魅力ですね。

記録も植物も消えてしまう。恩人の訃報を機に抱いた、猛烈な危機感

――どっぷりと食虫植物にハマった南さん。今の活動のきっかけとなる、何か大きな出会いがあったのでしょうか。

25歳でハマった直後、ブログに食虫植物のことを書いていたら「関西食虫植物愛好会」会長の林昌弘さんに「遊びにおいで」と声をかけていただいて。当時はまだ女性の参加者が誰もいない世界でしたが、林さんに声をかけていただいたことで、このコミュニティに居場所ができました。

愛好会では植物を持ち寄ったり自生地に行った報告をしたり、気軽な学会のような活動をしています。

そして、愛好会を通じて、私のメンターとなる土居寛文先生に出会いました。土居先生は食虫植物の栽培でギネス記録も持っている、この世界の第一人者なんです。
先生のもとに通い詰め、15年にわたって栽培技術からその精神性まで叩き込んでいただきました。

――15年!まさに師匠と弟子の絆ですね。

単なる趣味ではなく、一つの命を守りつないでいくことの重みを教えてくれたのが土居先生でしたね。今でも困ったことがあれば真っ先に相談しますし、先生の存在がなければ、今の私は間違いなく存在しません。

土居先生からの教えをひとりで抱え込むのではなく、みんなと共有したいと思ったことや、コロナ禍でみんなと植物の楽しみを共有できる場が減ったのをきっかけに、Twitter(現X)やYouTubeでの発信も始めました。

―― そこから、なぜ「専門店を作る」との決断に至ったのでしょうか。

ある悲しい出来事がきっかけでした。2022年、私がとても親しくしていた橋本園芸の橋本正光さんが、50代の若さにして急逝されたんです。

橋本さんは特定の品種において「彼しか持っていない情報」や「彼しか維持できていない株」をたくさん抱えていました。彼が亡くなったことで、その貴重な情報がどこにあるのか、その株がどうなったのかが、一瞬にして分からなくなってしまったんです。

――情報も植物も、その人と一緒に消えてしまった……?

ウツボカズラには、1900年に作られ今も命をつなぐ「ダイエリアナ」という有名な品種があります。一方で、1985年に日本で生まれた「ミドリ」というマイナーな交配種は、今やどこに本物があるのか、誰にも分からなくなってしまいました。

正しくつながれた命は、こんなにも長く生き続けられる。でも、つなぐ仕組みがなければ、わずか数十年で行方不明になってしまう。

この事実を知ったとき、猛烈な危機感に襲われたんです。「誰かが記録し仲間を増やし、情報を共有しなければ、先人たちが100年以上かけて紡いできた歴史が全滅してしまう」と。

お店という「場所」を作り、人が集まり、情報が循環するインフラを整えること。それが先人たちからバトンを受け取った私の使命だと思い、当時勤めていた会社の退職と起業を決めました。

北原氏の「原理原則」が、植物界で15年守ってきた教えと重なる

―― 専門店をオープンした後、転換点となるできごとはありましたか。

はい。2024年の2月に、高速道路で追突事故に巻き込まれてしまったんです。40日間入院することになり、頚椎のヘルニアや狭窄症を患いました。いまもまだリハビリ中で、左半身には麻痺が残り、握力も10ほどしか出ないんです。

―― それは大変でしたね……。そのとき、お店はどうなったんですか?

土居先生や愛好家の仲間たちが、交代で水やりや接客をしてくれたんです。取引中だった植物がキャンセルになっても、誰一人としてクレームを言わず、むしろ励ましの言葉をかけてくれました。このとき「一人で頑張らなくてもいいんだ」と心の底から痛感しましたね。

―― 退院後、どのように北原さんの存在を知ったんですか?

退院してからも半年以上、松葉杖での生活しているのを見かねて、近所の大学生の愛好家が「見ていられないから手伝わせて」と言ってくれたんです。それが2024年の冬でした。

猛暑のなかで彼が倒れないようにと熱中症対策グッズを探していたとき、偶然YouTubeの自動再生で流れてきたのが北原さんの動画でした。

―― そこからなぜ入会を?

動画を見るうちに、自分のなかでモヤモヤしていたことが言語化されていく感覚があったんです。特に「仲間と育むことで地盤を固める」という考え方は、事故を経験したばかりの私にストンと落ちました。

それまで、起業塾には同業者を出し抜くような勝負のイメージがあり、業界貢献を優先したい自分とは無縁だと思っていて。でも、今のキャパシティでは業界を守りきれない。自分を導いてくれるのはこの人しかいないと確信し、UBM(※)や北原孝彦アカデミー(※)への入会を決めました。

※UBM(ビジネス行動管理大学):北原孝彦が代表を務めるビジネス塾。2020年に「北原の精神と時の部屋」として設立、2024年11月に現名称に改称。

※北原孝彦アカデミー:UBM(ビジネス行動管理大学)の学びをベースにしながら、北原孝彦のより近くで学ぶ区画。北原氏が直接指導にあたる。メンバーは経営スキルだけでなく、人としての在り方を学ぶ。

―― 特に響いた学びはありましたか?

「メンターを一人に決める」という教えです。実はこれ、私が食虫植物の初心者にずっと言っていたことと同じでした。あちこちから情報をちゃんぽんする人は、結果的に植物も人間関係も枯らしてしまいます。

私自身、植物については土居先生という唯一無二のメンターを定めて15年歩んできました。ビジネスも同じで、ブレずに一人のメンターから徹底的に学ぶ。その重要性を再認識しましたね。

―― その学びは、現在のお店作りや活動にどんな影響を与えているのでしょうか。

一番の変化は、私がプレイヤーを引退する決断をしたことです。以前は「自分で植物の植え替えをしないと、信用できない」とすべてを抱え込んでいましたが、北原さんの「さっさとステージを変えろ」という言葉に背中を押されました。

SNSで「うちで働いてくれる人がもうひとりいれば……」と呟いたところ、愛好家さんが「お手伝いしたい」と連絡をくれて。今後はその人にお店のことを任せようと思っているんです。そのぶん私は、地方の愛好家に会いに行ったりイベントを企画したり「植物文化プロデューサー」としての役割に、もっと全力を注いでいこうと思います。

次の120年へバトンをつなぐ。愛好家と研究者が集い続けるインフラを

―― 今後の南さんの目標を教えてください。

直近の大きな目標は、2026年11月に兵庫県立フラワーセンターで開催する「食虫植物祭2026」を成功させることです。土居先生のお膝元ということもあり、全国の愛好家や研究者、さらには全国の植物園まで巻き込んで仕上げようと思っています。

―― 業界を挙げた一大プロジェクトですね!

私の役割は、先人たちが100年、120年とつないできた長いバトンを、次に渡すことだと思っているんです。そのためには、私が「言い出しっぺ」や「ファーストペンギン」にならなきゃいけない。業界のためなら、客寄せパンダにでも何にでもなる覚悟です。

―― その「バトンを渡す」ために、今一番必要だと感じていることはなんですか?

時代や環境が変わっても、愛好家や研究者が集い続けられる「インフラ」や「コミュニティ」を作り続けることです。私が北原さんのもとでビジネスの原理原則を学んでいるのも、独りよがりの情熱だけで終わらせず、この文化を強固なものにするためです。

―― 「趣味」の枠を超えて、文化を存続させるための仕組み作りですね。

はい。ひとりで抱え込むのではなく仲間を信頼して「みんなでやる」ことで、ようやく植物文化プロデュースにフルコミットできる土壌が整いました。この体制を維持し、さらに広げていくことが、私に課せられた使命だと思っています。


取材を終えて

まず驚かされたのは「食虫植物」という超ニッチな世界。正直、これをビジネスにするのはかなりハードルが高いのでは……?と思ってしまったのですが、着実に形にしている姿を見て圧倒されました。「どんなジャンルでも月100万円はいく」という北原さんの言葉は本当だったんだなと、ただただ驚くばかりです。 

好きなことを単なる趣味で終わらせず、周囲をどんどん巻き込んでいく南さんのパワーは凄まじいです。何より、信じるメンターを一人に絞り、その教えを徹底的に吸収することで自分の立ち位置を確立していく。その「素直さ」と「一点突破の集中力」こそが、成功の秘訣なのだと改めて気づかされました。

ただの植物マニアではなく、唯一無二の「植物文化プロデューサー」として突き進む南さん。これからどんな新しい景色を作っていくのか、私も楽しみでなりません!

(記事制作:ひとひら企画/インタビュアー:渡辺まりこ、人生の軌跡グラフ制作:Emodea・相場綾香)

※掲載情報は2026年4月現在のものです。最新情報は公式サイト等をご確認ください。