【自分らしさを引き出す思考整理&講座設計パートナー|安藤弓子】救済企画で気づいた”つもり”だった。売上1600万円の先で直面した土台の大切さ
群馬県を拠点に、講座作りをサポートしている安藤弓子さん。価値観を掘り下げ、ターゲット設計、講座コンセプト、発信導線までを整え、その人にしか作れない講座を形にしています。クライアントのなかには、安藤さんと作り上げた初回セミナーで300万円を売り上げた人もいます。
全力で人と向き合うことで信頼を積み上げている安藤さんの周りには、今たくさんの仲間が集まっています。しかし、かつては孤独のなかで走り続けてきた時期がありました。シングルマザーとして3人の子育てに奮闘しながらリラクゼーションサロンを経営していた頃は、すべてを一人で抱え込み、体調を崩したことも。そんな経験があったからこそ、「ひとりぼっちを作らない生き方」を目指して自らの土台を整え直し、クライアントと向き合っています。
年齢を重ねても自己の成長を追い求め、挑戦し続ける安藤さんの歩みを聞きました。
強みを最大限引き出す、講座作りのパートナー
―― まず、現在のお仕事について教えてください。
「自分らしさを引き出す思考整理&講座設計パートナー」として、講座を作りたい方に対してマンツーマンでサポートしています。
対象になるのは、既にご自身のサービスを持っているけれど、それをどのように講座にすればいいのか分からない。あるいは、プレイヤーから人に教えるフェーズへ進みたい。そういう方の講座作りをお手伝いしています。
講座を作りたい方のなかには、AIで壁打ちしている方もいらっしゃいます。それも一つの手段ですが、「結局どれが正解か分からない」と迷ってしまう方も少なくないんです。そういう方に向けて、スキルや経験を整理し、講座として形にしていきます。
―― どのような業種の方からの相談が多いのでしょうか。
業種は本当にさまざまです。セラピスト、コーチ、カウンセラーの方が多いですが、ハンドメイドやお料理教室、SNS集客、ペット関連など、幅広くご相談いただいています。年齢や性別でいえば、50代の女性が中心ですね。

―― 講座作成の流れを教えてください。
まずはご自身の強みを言語化するところから始めます。ここがとても大切です。強みが言語化できたらターゲットを明確にしていき、その人にしかできない唯一無二の講座コンセプトを設計します。
その後のコンテンツ作りも、マンツーマンでサポートします。講座の価格・期間・提供方法・キャッチコピー・発信の方向性まで一緒に整えます。
――どのような方法で「強みの言語化」をするのですか?
強みや価値観を見つけるために使っているのが、独自に開発した「金脈診断」です。四柱推命やホロスコープ、統合心理学など複数の診断をもとに、仕事の部分に特化して才能や価値観を見ていきます。
ただ、診断だけで決めるわけではありません。人生の棚卸しをしたり、価値観を問う質問をしたりしながら、本人も言語化できていなかったキーワードを拾っていきます。
―― ターゲットを明確にすることも、意外に難しそうです。
一般的に「誰のどんな悩みを解決したいですか」と聞かれても、答えられない方は多いです。だから私は、少し違う角度から質問します。
たとえば「最近買ったお気に入りのものは何ですか」「今、何が欲しいですか」といった問いから入ることもあります。一見、講座とは関係なさそうに見える答えのなかに、その人の価値観や本当に届けたい相手が隠れていることがあるんです。
―― 講座作りをする方は、何に悩むことが多いですか?
経歴が長い方ほど、伝えたいことがたくさんあります。だからこそ、「何をどうまとめたらいいのか分からない」と悩む人は多いですね。
自分では当たり前にできていることほど、価値に気づきにくいものです。私は、その方の頭のなかにあるものを一度全部出して、整理していく感覚で関わっています。いわば、思考のお片付けです。

―― これまでのサポートでの成果を教えてください。
コンセプト設計をお手伝いして、初回のセミナーで300万円を売り上げた方がいました。コーチングのセッションを講座にして40万円を売り上げた方や、ターゲットを変更して60万円の成約につながった方もいます。
数字ももちろん大切ですが、それ以上に「自分では気づかなかった自分らしさが分かった」「やりたいことが分散していたけど、一つにまとまった」と言ってもらえることが嬉しいですね。
―― どのような思いでクライアントさんと向き合っていますか?
私は、全力の人が好きなんです。だから私自身も、生徒さんには全力で向き合っています。そして、その人の潜在能力や可能性を最大限に生かした講座作りを目指しています。
ちょうど最近、生徒さんに私の印象を聞く機会がありまして。「話していて安心感がある」という声が多かったのですが、「優しいけど、ビジネスの話になるとはっきり言われるから身が引き締まる」とも言われました(笑)。全力で応援したいからこそ、必要なことをきちんと伝えます。
子育てしながら働くために自宅サロンを開業
―― 安藤さんのこれまでについても教えてください。過去にはどんなお仕事をしてきたのですか?
高校を卒業後、18歳でホテルのフロントとして働き始めました。その後21歳で出産し、しばらくは育児に専念していました。
子育てが落ち着いてからは、食品会社での受付事務や販売、眼鏡店での接客、調剤薬局の医療事務など、さまざまな仕事を経験しています。振り返ってみると、人と関わる場面のある仕事が多かったですね。
そして2002年、3人目の子どもを出産したことをきっかけに「自宅で仕事ができたら」と思うようになり、働き方そのものを見直しました。

――なぜ自宅で仕事をしたいと思ったのですか?
子どもを見られる時間は、人生のなかでそんなに長くないですよね。子育てを大切にしたい。でも、自分でも何かをやりたい。そう思ったんです。
とはいえ、当時は今のように何でも仕事になる時代ではありませんでした。家で働くとなると、内職くらいしか思い浮かばなくて。それなら「手に職をつけよう」と考え、整体やリンパマッサージを学びました。そして2004年、自宅でリラクゼーションサロンを始めたんです。
―― サロンのお客様は、どのように集客を?
当時は今ほどSNSが盛んではない時代だったので、地道な活動です。サロンを始めたのは、「子育て中のお母さんを癒やしたい」という思いからでした。私自身、肩こりがひどかったのですが、乳飲み子を抱えているとなかなかマッサージに行けないじゃないですか。だからこそ、子どもを連れて来られるサロンを作りたかったんです。そこで思いついたのがベビーマッサージでした。
まずベビーマッサージを学び、地域の産婦人科や公民館、保育園、幼稚園に手紙を送ったんです。ワープロで文章を作成し、住所を手書きし、切手を貼って。
すると、いくつかの施設から「うちでベビーマッサージをしてください」とご依頼をいただけるようになりました。ご依頼先でベビーマッサージを実施し、参加したお母さんたちにサロンを紹介する。そういった流れでサロンのお客様が増えていきました。今思えば、「フロント活動」と「バックエンド」の形を自然にとっていました。

―― 順調にお客さんを増やしていったのですね。
そうですね。必要としてくれる人に届けるために、とにかくたくさん動きました。ポスティングもたくさんしましたね。今思えばよくやったなと思います(笑)
ありがたいことにお客様が増えていきましたが、開業から2年後の2006年に離婚することになって……。
――そこからどうされたのですか?
ちょうど自宅サロンが手狭に感じていた時期でもあったので、離婚と同時に店舗を借りることにしました。そこからシングルマザーとして3人の子どもを育てながら、店舗サロンを続けていきました。
2店舗運営とスクール開講。それでも孤独だった
―― 店舗でのサロン運営はいかがでしたか?
2016年にはもう1店舗を増やし、2店舗になりました。同じ頃に、セラピスト育成スクールも始めています。
スクールを始めたきっかけは、お客様や周りの方から「私もやってみたい」「教えてほしい」と言われるようになったことです。もともとホームケアやベビーマッサージを教えていた流れがあり、そこから施術を本格的に教えるスクールへと広がっていきました。

―― スクールを始めてから、事業にはどのような変化が?
収益的には、スクールを始めてからの方が良かったと思います。ただ、全部一人でこなしてしていたので、孤独でしたね。
「しっかりと子育てする」ことに執着していたので、ビジネス交流会に行こうという気持ちがありませんでした。だから、横のつながりが全然なかったんです。結果的に、生徒さんはいるけれど、自分自身の悩みを話せる人や事業の相談をできる人はいない状態が続き、ずっと孤独でした。

―― スタッフは雇わなかったのですか?
雇ったこともあります。でも、任せきることができませんでした。
たとえば施術において、「新人じゃなくて、安藤さんに担当してほしい」とお客様から言われることもありました。そのバランスの取り方がうまくできず、結局一人で抱え込んでしまったんです。当時のスタッフには申し訳ないことをしました。今振り返ると、私自身がプレイヤーから離れる覚悟を持てていなかったのだと思います。
―― お一人で抱えてしまっていたのですね。
そうなんです。仕事の忙しさ、そして離婚による心理的負担などが重なって、体に不調が出始めました。もともとアトピー性皮膚炎を患っていたのですが、その症状が重症化したのが辛かったです。加えて、パニック障害にも悩まされるように。電車に乗れない。車の運転も怖い。電車に乗ろうとすると冷や汗が出て体が震える、という状態でした。
――お仕事は、どうしていたのですか?
仕事は続けていました。電車に乗る、車の運転をするという場面以外であれば、なんとか日常生活が送れていたので。一方で、自分がパニック障害なのに、人を癒やす仕事をしていることに、矛盾を感じていました。
年を取れば取るほど、本質で生きないと苦しい
―― 人を癒やす仕事をしながら、ご自身は苦しさを抱えていたのですね。
そうですね。心のどこかでは「これは自分に向いていないのではないか」「もっと自分の可能性を生かせる仕事があるのではないか」と感じていました。そんなときに、ホロスコープを学んでいた先生から「年を取れば取るほど、本質で生きないと苦しいよ」と言われたんです。
離婚も病気も経験したうえでその言葉を聞いたとき、「だから今まで生きづらかったんだ」と腑に落ちたんです。そこから自分を知るための講座をたくさん受けました。
―― どのようなことを学んだのですか?
心理学、占い、スピリチュアルなど、自分を知るための講座やセッションをたくさん受けました。ボディケアの仕事をしていると、体だけでなく心や人間関係の悩みを聞くことも多いんです。だから、体だけを見ていても人は本当には楽にならないと感じていました。
心と体と魂は三位一体だと思っています。体が弱ると心も落ち込み、気も弱くなる。逆に心が病むと外に出られなくなり、体力も落ちていく。どこから始まっても、全部つながっているんです。
―― その学びは、仕事にも影響しましたか?
はい。学びを深めるなかで、「人の才能や能力を開花させることが自分の力なのだ」と気づきました。コロナの影響で2020年に店舗を閉じ、2022年に「魅力開花Lab」を始めました。その人が本来持っている才能や潜在能力を開花させ、自分らしく輝けるようにサポートする事業です。最初の生徒は10名程。今の講座作成代行につながる、強みの言語化やコンセプト設計は、この頃から始まっていました。
北原孝彦さんに会うため、10年避けていた電車に乗れた日
―― 北原孝彦さんを知ったきっかけは何だったのでしょうか。
生徒さんが教えてくれたのがきっかけです。そこからYouTubeを見るようになりました。特に「マインドの集大成」という2時間の長編動画が印象に残っています。心が動きました。
―― どんなところに心が動いたのですか?
圧倒的な熱量です。全力で、一生懸命に話している姿に惹かれました。そして、「どうしてもこの人から学びたい」と思ったんです。だから、UBM(※)に入会して会いに行こうと決めました。2023年のことでした。
当時の私はパニック障害に悩まされていて、電車に乗れない状態。でも、北原さんに会いに行きたいという気持ちが上回って東京合宿に申し込みました。そして、10年間も乗れなかった電車に乗れたんです!
※UBM(ビジネス行動管理大学):北原孝彦が代表を務めるビジネス塾。2020年に「北原の精神と時の部屋」として設立、2024年11月に現名称に改称。
――大きな壁を乗り越えて、UBMに入会されたのですね。
入会してすぐの頃、北原さんに事業相談をする機会がありました。「生徒さんたちをもっと勝たせたいんです」「売上を伸ばすにはどうしたら……」と相談する私に、北原さんはまるで私の本質を見透かすように、こう返してきたんです。
「それって、あなたが輝くことじゃないですか?」
ハッとしました。私はセラピスト時代からずっと、「あなたがあなたらしく輝くために」という言葉を発信し続けてきたんです。北原さんがそれを知っているわけがないのに、自分の核をぴたりと言い当てられた気がして。「なんで分かるの?」と。もう、その瞬間からぞっこんです(笑)。

救済企画に出演。でも、変わりきれなかった
――その後、弟子区画(※)に入ったのはいつ頃ですか?
2024年4月です。起業して20年経っていましたが、それまでは年商が300万円程度だったんです。人生の最後にもう一度頑張ってみたいと思い、より北原さんの近くで学ぶ決意をしました。UBMに入会してから売上は伸びていき、2024年には年商900万円を超えるまでになりました。
※弟子区画:「3年間は挑戦から逃げない」と北原孝彦と約束した人が参加する。毎月の月報提出に加え、弟子合宿では全員が活動報告を行う。現在は募集を終了している。
―― 2025年3月には救済企画に出演していましたね。
はい。さらなる飛躍を目指し、年商3000万円を目標に掲げて事業相談をしました。でも、そこで指摘されたのは、“在り方”でした。
自分がどう見られるかを気にして、言うべきことが言えない。生徒さんのためと言いながら、実は自分のことばかりを考えている。自分で方向性を決められず、他責思考になっている。そんな現実を突きつけられました。
―― その指摘を受けて、どのようなことに気づきましたか?
幼少期の話をしますと、私の父はお酒を飲むと声を荒らげることがあり、母はそれに耐えることを美学としている家庭で育ちました。逆らわず、笑顔で優しく接していれば、いつか認めてもらえる。私は、そんな生き方をどこかで身につけていました。
本当は、その生き方が大嫌いだったはずなんです。でも、まだ自分もそれを繰り返していたんだと、救済企画で気づかせてもらいました。指摘は厳しかったです。でも、言われなかったら気づかないまま一生終わっていたことなので、本当にありがたいと感じています。北原さんは、私にとって「育てのお父さん」です。
―― 救済企画の出演後、事業に変化はありましたか?
年商1600万円まで伸びました。ただ、売上を追う意識が強くなりすぎて自己流に進めてしまった部分もあり、結果として売上は失速していったんです。
―― なぜ失速したのでしょう?
当時ははっきりとは分かっていませんでした。数字は伸びたけど、なぜか安定しない。気づいたつもりだったのに、同じような苦しさが残っている。その理由を、まだ言葉にできていなかったんです。その答えをはっきり自覚したのが、2025年12月の北原孝彦アカデミー(※)(以下、アカデミー)の面談でした。
北原さんから、「原理原則が身についていないし、土台も整っていない。自分にばかり矢印が向いている」と言われました。救済企画で気づいた”つもり”だったけれど、まだ本当の意味では変わりきれていなかったんです。
それで、すごく勘違いしていたことに気づいて。姿勢が整っていない私を理解したうえで、それでも受け入れてもらえたことが、私にとって大きな救いになっています。
※北原孝彦アカデミー:UBM(ビジネス行動管理大学)の学びをベースにしながら、北原孝彦のより近くで学ぶ区画。北原氏が直接指導にあたる。メンバーは経営スキルだけでなく、人としての在り方を学ぶ。
「人を大切にする」と決めたら、大切な人が増えていった
―― アカデミーで学び始めてから、ご自身の行動にはどのような変化がありましたか?
一番変わったのは、人を大切にするようになったことです。「自分がどう見られるか」ではなく、「この人の役に立つためにはどうしたらいいのか」「何をお手伝いしようか」と、毎日考えるようになりました。すると、大切な人が増えていったんです。精神的には非常に豊かになりましたね。

―― 大切な人が増えるとは、どういうことでしょうか。
まず、ともに事業を作っていくグリッドパートナーができました。さらに、生徒さんの一人がUBMに入ってくれました。支部会に来てくれる生徒さんもいます。このように同じ学びができる人が増えたことが、とても嬉しいんです。「いつかは群馬県に北原さんを呼びたいね」なんて話もしています。
以前は、事業の相談ができる人もいない孤独のなかで、すべてを一人で背負っていました。けれど今は、自分の周りにはたくさんの人がいます。その人たちの役に立ちたいと考えることが、私の幸せです。

―― 今のご自身の変化を、どう感じていますか。
もともと自己評価は低いんですけど……。救済企画のときにマイナス10だったとしたら、アカデミー面談の頃はマイナス5。今は、やっと0くらいには来られたかなと思います。でも、グリッドパートナーが二人になって前進したので、プラス2にしておきましょうか(笑)。
―― 最後に、これからどんな未来を作っていきたいか聞かせてください。
私がセラピストをしていたとき、ずっとひとりぼっちでした。だから、これからは一人にならない生き方をしていきたいし、ひとりぼっちを作らないようにもしたいです。この考え方を、もっと広めていきたいと思っています。
一人ひとりが輝くことは、もちろん大事なんですけれど、みんなで輝いていたほうが楽しいじゃないですか。それぞれが持っている唯一無二の魅力に気づいて、それを生かせる人が増えたら、嬉しいなって。一緒に学んで、一緒に成長したい――そういう世界を、これから作っていきます。

取材を終えて
安藤さんは、人生の先輩であり、起業の先輩です。孤独や病気を乗り越えて今がある。いい時も悪い時も知っているからこそ、言葉の一つひとつに重みと説得力がありました。
個人的に気になったのは、安藤さんが独自に開発した「金脈診断」。その人が輝いている未来が見える……!?自分らしさを見つけたい方は、ぜひ問い合わせてみてくださいね。
(記事制作:ひとひら企画/インタビュアー:渡辺まりこ、人生の軌跡グラフ制作:Emodea・相場綾香)
