【治療院経営・コミュニティ運営|浅妻拓郎】24歳で独立。仲間と育つ道を選んだ治療家の挑戦

新潟県で難治性疾患専門の自費治療院「はるかぜクリニカルラボ」を運営する浅妻拓郎さん。24歳で独立し、開業当初からWeb集客を武器に順調なスタートを切りました。

一方で、人材育成や組織作りには苦戦し、開業半年で出店した2号店を同じく半年で閉鎖。事業の成長とともに、自分一人の力では越えられない壁に直面したといいます。

そんななかで出会ったのが北原孝彦さん。7年以上学び続けるなか「自分が成果を出す」から「仲間と長く生きる」へと価値観が変化していきます。「治療家の孤立をなくしたい」と語る浅妻さんに、これまでの歩みと大切にしている価値観を伺いました。 

歩き方を見ると、その人の歴史が見えてくる。はるかぜクリニカルラボが大切にする身体との向き合い方

――まずは、今のお仕事について教えてください。

新潟県内で治療院を2店舗運営しています。一つは難治性疾患専門の自費治療院「はるかぜクリニカルラボ」で、もう一つはアパートの一室で運営している治療院です。

主に、ヘルニアや脊柱管狭窄症、変形性膝関節症など、手術を勧められたり、病院で骨の変形を指摘されたりした方が来院されています。

――骨が変形しているような症状でも改善することがあるんですか?

もちろん、変形そのものが元に戻るわけではありません。ただ、その程度と痛みの強さは必ずしも一致はしない。関節の動かし方や身体の使い方が変わることで、痛みが軽減し、日常生活が楽になるケースはたくさんあります。

――実際には、どんなところを見ながら施術しているんですか? 

まず、歩き方や呼吸、体幹の使い方などを見て、身体の動きを細かく分析します。特に歩き方には、その人がこれまでどのように身体を使ってきたのかが表れるんです。

そのため、腰が痛いから腰だけ、膝が痛いから膝だけを見るということは、あまりありません。身体全体のバランスを確認しながら施術を行います。

現代人は、胸を張ったり姿勢を正そうとしたりするあまり、身体に力が入り、かえってうまく動かせていないことがあります。そこで、施術だけでなく、日常生活で意識すべきこともお伝えしています。「痛みを取る」というより、「身体の使い方を変える」という感覚に近いですね。

――そうした施術で、患者さんにはどんな変化が現れるんでしょうか?

ヘルニアで歩くのも大変だった方が、3〜6カ月で登山に行けるようになったり、長時間立てなかった方が仕事に集中できるようになったりします。病院や他の治療院でも改善しなかった症状が良くなり、「もう治らないと思っていました」と言っていた方が変わっていく瞬間に立ち会えると、この仕事をやっていて良かったなと思います。

将来の夢は「経営コンサルタント」24歳で独立するが経営と組織作りで挫折

――浅妻さんの原点を聞かせてください。学生時代はどんな将来を考えていたんですか?

高校生の頃は、大学に進学してビジネスの世界で活躍する人になりたいと思っていました。子どもの頃から出世したい気持ちは強くて、小学校の文集にも「経営コンサルタント」と書いていた気がしますね。

――そこから、どうして治療家の道に進むことになったんですか?

大学受験に失敗して、一浪しても志望校に受からなかったんです。そのときに母から「拓郎は柔道整復師の方が向いているんじゃないか」と言われて、半ば無理やり専門学校のオープンキャンパスに連れて行かれました。僕自身は当時は二浪するつもりだったので、最初は全然その気じゃなかったんです。でも実際に行ってみたら、「こういう仕事もあるんだ」と思って、そこで気持ちが変わりました。

――お母様のひと言が、進路を変えるきっかけになったんですね。

今思うと、母の感覚は鋭かったですね。もともとビジネスには興味があったので、治療家という仕事を知って意外に稼げる仕事なんだなと思いました(笑)。それで、専門学校に進むことにしたんです。

――卒業後はどんな道に進んだんですか?

卒業後は、専門学校時代の同級生が開業した接骨院で働きました。同級生といっても、僕は夜間部だったので年上の方が多くて、その人も7歳ほど上だったんです。カリスマ性もありましたし、学生時代からとても可愛がってもらっていたので、自然と慕っていました。卒業と同時に開業するというので、「じゃあ僕を雇ってください」とお願いして、2年間そこで働きました。

――かなり信頼していた方だったんですね。

学生時代から考えると5年ほどの付き合いでした。あるとき、「浅妻、お前は社長になれ」と言われて、経営者になる道を勧めてもらったんです。ただ、勧めていただいたのは治療とは関係のない事業だったんです。僕はまだ治療家の道を進みたいと思っていたので、「治療院を開業したいです」と伝えました。

――その方はどんな反応でしたか?

「それは失敗すると思うぞ」と案の定反対されて(笑)。それでも僕はどうしてもやりたくて、何度も話し合いましたが、最終的には「友達としては応援できるけど、一緒に事業をするのは難しい」という結論になりました。

そこで、24歳のときに一人で独立しました。治療家は、極端に言えばベッド一台あれば仕事を始められます。当時は気合いで何とかなる部分もありましたが、経営については分からないことばかりでした。そのため、開業当初から経営塾に通い、基礎を学んでいました。そこで出会った人たちは、後にコミュニティを一緒に運営する仲間にもなりました。

――実際、開業してみてどうでしたか?

開業当初は集客にもリピートにも恵まれ、順調なスタートが切れました。特に力を入れたのがWeb集客です。Webサイトを自作し、広告も独学で運用しました。当時は取り組む治療院が少なく、先行者利益もあったと思います。

――開業当初を振り返って、どんなことに苦労しましたか?

採用や教育にはかなり苦労しました。開業して3カ月ほどでスタッフを雇い、半年後には2号店も出しましたが、人材育成がうまくいかず、半年で閉めることになったんです。

当時は、自分と同じことをやればうまくいくと思って教育していました。でも、そう簡単にはいかなかった。マニュアル作りやミーティングには力を入れていましたが、今振り返ると一番大事なことが抜けていました。

――「一番大事なこと」とは?

当時の僕は、相手との関係性よりもマニュアルを優先していました。今なら、まず相手との信頼関係を築くことが大切だと分かります。でも、治療方針や患者さんとのコミュニケーションについて、自分のやり方を伝えようとするあまり、すれ違いを繰り返していたんです。嫌いな上司の言うことなんて、聞きたくないじゃないですか。

一人で成果を出すことはできても、人と一緒に成果を出すことはできなかった。そこで初めて、人と働くことの難しさを思い知りました。

仲間と歩む大切さを教えてくれた北原孝彦さんとの出会い

――北原さんとの出会いはいつ頃だったんですか? 

北原さんと初めてお会いしたのは、7年ほど前に全国セミナーへ参加したときでした。当時は店舗展開を目指していて、治療業界では珍しい仕組み化や組織作りの考え方に興味を持ったんです。 

地元の新潟で開催されるまで待ちきれず、栃木まで足を運びました。その後も、同じ内容のセミナーに何度も参加しました。今思うと、北原さんに会いたかったし、覚えてもらいたかったんだと思います。

――それほど惹かれた理由は何だったんでしょうか。

熱量ですね。初めて参加した栃木のセミナーは参加者が3〜4人ほどでしたが、北原さんは100人規模の会場で話しているかのような迫力だったんです。それが衝撃で、「この人から学びたい」と思いました。

あと、その前からYouTubeで北原さんを見ていて、話し方や声が印象に残っていたんです。実際にセミナー会場で話し始めた瞬間、「あ、この声だ」と思ったのを覚えています。

――そこから北原メシや精神と時の部屋にも参加していくんですね。 

そうですね。北原メシ(※)にも何度も行きましたし、北原の精神と時の部屋(※)の前身だったコミュニティにも初期から参加していました。月報も欠かさず出していて、振り返ると北原さんのもとで7年以上学び続けていますね。

※北原メシ:「北原の精神と時の部屋」の前身となったビジネスコミュニティ。北原孝彦を囲って食事をしながら、事業つくりにキーポイントとなる3要素、プロダクト、マーケティング、経営を学ぶ会。

※北原の精神と時の部屋:北原孝彦が代表を務めるビジネス塾。2020年に設立し、2024年11月にUBM(ビジネス行動管理大学)に改称。

――そこまで長く学び続けられた理由は何だと思いますか。

自分の行動を見て、認めてもらえたことが大きかったと思います。北原さんは月報を読んで、「浅妻さんは大丈夫ですよ」と声をかけたり、取り組んだことを評価したりしてくださいました。

怒られた記憶はほとんどなく、いつも背中を押してもらっている感覚があって。だから、「もっと頑張ろう」と思いながら、学び続けることができたのだと思います。店舗展開や全国展開への思いもありましたが、それだけでは7年以上も続かなかった。

「戦い方を変えませんか?」北原孝彦アカデミーで起きた価値観の変化

――北原孝彦アカデミー(※)(以下、アカデミー)入会のきっかけは何だったんですか?

当時は治療家向けのコンサル事業をやっていて、YouTubeやSNSでの発信にも力を入れていましたが、思うように成果が出ていなかったんです。そんなときに、北原さんから直接「戦い方を変えませんか?」と声をかけてもらいました。

※北原孝彦アカデミー:UBM(ビジネス行動管理大学)の学びをベースにしながら、北原孝彦のより近くで学ぶ区画。北原氏が直接指導にあたる。メンバーは経営スキルだけでなく、人としての在り方を学ぶ。

――「戦い方を変える」とは?

SNSだけに頼るんじゃなくて、人とつながる方向に行きませんか、ということだったと思います。それまでの僕は、自分で成果を出すことばかり考えていました。でもアカデミーに入ってからは、人と一緒に成果を出すことに価値を感じるようになったんです。。

――そうした価値観の変化のなかで、特に印象に残っている言葉はありますか?

北原さんは、自分の近くに来てくれる人に「老人ホームに一緒に入ろう」とよく言います。この言葉が、僕は大好きなんです。冗談みたいに聞こえるんですけど、よく考えると面白いじゃないですか。おじいちゃんになっても一緒にいられる仲間がいる。そういう生き方って素敵だなと思ったんです。 

自分で結果を出すことよりも、誰と歩むか、どう関わるかを大切にする。それが北原さんと出会ってからの一番大きな変化かもしれません。 

――人との関わり方について、意識していることはありますか?

最近特に意識しているのが、北原さんが話していた「思い通りにいかなくなったら、利己的になっていると思え」という言葉です。

コミュニティでもスタッフとの関わりでも、「もっとこうしてほしい」と思う場面はあります。でも、そのときにまず「あ、自分が利己的になっているのかもしれない」と考えるようになりました。

――相手ではなく、まずは自分を見るようになったんですね。

そうかもしれません。最近は、自分がどう振る舞うかを大事にしていて、ゴミを拾うことや、挨拶をきちんとすること、人より掃除をすることなど、基本的なことを意識しています。トーク力や治療技術よりも、そういうことの方が大事なんじゃないかと思うようになったんですよね。 

人は仲間のためにしか本気で頑張れない

――現在は治療院以外にも、複数のコミュニティを運営しているそうですね。

現在、三つのコミュニティを運営しています。

一つ目が「伝志会」。治療家向けに身体操作や歩行分析を学ぶコミュニティで、オンライン講座などを通じて患者さんへの指導方法を共有しています。

二つ目が「NO-BOTCH(ノーボッチ)」。「一人ぼっちを作らない、させない、ならない」をテーマにした治療家コミュニティで、患者さんとの関わり方や経営の考え方を学び合っています。

三つ目が「ヒトツム」。新潟の治療家が集まり、互いにつながりながら学べる場を作っています。

――それぞれ、どのようなきっかけで始めたんですか。 

実は、どのコミュニティも「この人たちと何かやりたい」という思いから始まっているんです。伝志会は、高木さんと梶谷さんと一緒に学びの場を作りたくて始めました。

NO-BOTCHも、西村先生や徳永先生の話をもっと聞きたいと思ったことがきっかけです。

ヒトツムも、新潟でこれまで紡いできたご縁から生まれました。

――市場分析をして「この事業をやろう」と考えたわけではなく、先に人がいたと。 

そうですね。中心となる人たちとは、もう8年、9年の付き合いになります。北原さんから「勉強会を開きなさい」と言われたときも、一人でやるより、これまで出会ってきた仲間たちと一緒にやりたいと思いました。長い時間をかけて築いてきた関係が、今のコミュニティにつながっています。

――そのなかでも、「一人ぼっちを作らない」というNO-BOTCHの考え方は象徴的ですね。 

僕自身、一人でやっていた時期が長かったんですけど、一人だとどうしても視野が狭くなるんですよね。治療技術も経営も、自分の考えだけが正解になってしまう。短期的には、一人で頑張ったほうが成果が出ることもあると思います。でも長い目で見ると、仲間と一緒に成長していくほうが豊かだと思うんです

――そこまで仲間を大切にするのは、なぜですか。

僕は、人って仲間のためにしか本気で頑張れないんじゃないかと思っています。自分のためだけだと、どこかで限界が来る。でも大切な人たちがいると、もう少し頑張ろうと思えるんですよね。

人が自然と集まる場所を目指して

――最後に、これからどんな未来を作っていきたいか教えてください。

人を集めるのではなく、気づけば人が集まっている。そんな場所を作りたいんです。店舗もコミュニティも、目指しているものは同じです。

僕だけでなく、一緒に取り組む仲間も含めて、「この人たちと一緒にいたい」と思ってもらえるような雰囲気を作る。その結果として、コミュニティの仲間や店舗が増えていけば嬉しいですね。

――そのために大切にしていきたいことは何でしょうか。

やっぱり勉強会だと思っています。伝志会も、NO-BOTCHも、ヒトツムも、結局は人が集まって学び合う場なんですよね。そういう場を地道に続けていくことが、一番大事なんじゃないかなと思っています。

1年後、3年後、5年後にどうなるかは分かりません。でも、まずは続けることですよね。仲間とのご縁を大切にしながら、勉強会の質を上げていけば、自然と人も集まってくるんじゃないかなと思っています。


取材を終えて

「経営者は孤独」という言葉をよく聞きますが、それは一人で何とかしようともがいているからなのかもしれません。浅妻さんは、自分だけが成果を出すのではなく「仲間とみんなで成長する」ことを大切にしている方です。仲間と一緒に挑戦したいことを語る表情はキラキラしていて、孤独とは無縁の、豊かな人生を生きていることが伝わってきました。

主宰するコミュニティ名の「ノーボッチ」、ネーミングセンスが素敵すぎます!ひとりぼっちがいない世界、これが実現できたら幸せに働く人がもっと増えていきそうです。

(記事制作:ひとひら企画/インタビュアー:渡辺まりこ、人生の軌跡グラフ制作:Emodea・相場綾香)

※掲載情報は2026年6月現在のものです。最新情報は公式サイト等をご確認ください。