【英会話教室|石黒環】夫の二日酔いが人生の転機に。経営18年で手に入れた「好きな人に好きと言える自信」
石川県金沢市にて、英会話教室「石黒学舎」と英語学童「Beyondインターナショナル」の代表を務める石黒環さん。開校から18年、英検合格を目指す学生から趣味の大人まで幅広く指導し、2016年には放課後を英語漬けで過ごす学童も立ち上げました。
石黒さんの半生は、親の勘当、アメリカでの時給2ドルの生活、夫の二日酔いを機にした教室引き継ぎと、波乱万丈。生徒さんが400人いても儲からない時期や、コロナの打撃を乗り越えてきました。英語のプロとして活躍する一方、「ずっと自信がなかった」と石黒さんは振り返ります。
そんな石黒さんは北原孝彦氏に出会い「好きな人に好きと言える自信がついた」と語ります。「人と比べない社会を実現したい」と語る彼女に話を伺いました。
0歳3カ月から80歳まで。英語が「当たり前」になる環境


――石黒さんの事業内容を教えてください。
英会話教室「石黒学舎」、英語学童「Beyondインターナショナル」を運営しています。
英会話教室には、0歳3カ月から80歳までの生徒さんがいます。赤ちゃんはまだ喋れませんが「耳から英語を聞かせたい」という親御さんが連れてきてくれますね。一方で80歳の方は純粋な趣味として来てくれています。小学生、中学生、大人それぞれに向けたカリキュラムを用意しています。


――皆さん、どんなきっかけで通い始めるのでしょうか。
大人は「いつか英語を話せるようになれたらいいな」という方が多いです。仕事で必要というよりも、「英語はカッコいい」「ずっと学びたかった」という声を聞きます。
学生は「授業や受験に必要だから」という方が多いです。実は、英検2級を持っていないと受験できない大学が増えていて。石黒学舎には外国人教師の英会話クラスと、日本人教師のプライベートレッスンがあります。私が直接指導するのは、本気で英検2級以上を目指す生徒さんです。
――受験に必要な英語の条件は、変わってきているのですね。
はい。ですから、私のInstagramでは、問題の解き方から単語まで、英検にまつわる内容をほぼ毎日投稿しています。英検2級の難しい点は、関係代名詞や完了形などの文法です。文章が長く複雑になってくると苦手意識を持つ子が多くて。中学英語でのつまずきが積み重なり、英検2級に受からないんです。
そのため石黒学舎では、どこでつまずいたかを掘り起こし、文法から勉強し直します。多くの生徒さんが、早いと3カ月、遅くても1年以内には合格しています。

――「Beyondインターナショナル」についても教えてください。
学校が終わった後に子どもたちを預かる民間学童です。宿題をしておやつを食べるまでは普通の学童と同じですが、その後はすべて英語のレッスンになります。レベル別に5クラス、各7〜8人ほどで外国人教師と過ごします。

――子どもたちはどんな様子ですか?
最初は「英語が難しい」と言いますが、だんだん英語がある環境が当たり前になってきます。英語への抵抗感がゼロになり、自信がついてくるんです。「学校の英語の授業が簡単すぎてつまらない」と言う生徒さんも多いですね(笑)。6年間通うと、特にこちらから促さなくても、自主的に英検2級まで取って卒業していきます。
――それはすごい!親御さんからは、どんな想いを託されているのでしょうか。
「安全に預かってほしい」と「何か有益なことを身につけてほしい」の両方の気持ちがありますね。私が学童を作ったときの思いは「親御さんが働いている間に罪悪感を感じてほしくない」ということでした。今でも入会説明のたびに話しています。

英語が当たり前の環境で育ち、得意科目に。
――石黒さんは昔から英語が得意だったのですか?
そうかもしれません。母が意識的に英語を耳にする環境を作っていて、常にラジオから英語が流れていたんです。母は日本語教師だったので、外国人の生徒さんやホームステイの方が家に来ることもありました。
そのおかげで、中学で英語の授業が始まると、知っている英単語が同級生よりも多かったんです。当時は小学校では英語の授業はなかったので、「どうして分かるの?」と聞かれました。それから成績と連動して英語が好きになっていきましたね。
――それからはどのように英語を学んでいったのでしょうか。
高校2年生のときに、2週間イギリスの語学学校に行きました。大人と同じクラスに入れてもらい、自信につながりましたね。「違う文化の人たちはいいな」という感覚がさらに強くなりました。
「2週間だと少し物足りないな」という気持ちで帰ってきましたね。その後大学へ進学し、1年生のときにドイツへ留学しました。
――なぜドイツに?
「これからの時代は英語だけではダメだろう」と思ったからです。1年ほど滞在していたので、家探しから買い物まで何でも一人で行いましたね。
高校時代の留学は旅行程度でしたが、1年間のドイツ滞在では価値観が覆りました。「どうして私は、こんなにも人と比べていたんだろう」と初めて思ったんです。常に自分に自信がなく「人からこう思われたら嫌だな」と、人の目を気にしていた自分に気がつきました。
海外では他人の目を気にしない人が多く「誰もが自分自身を持っていて素敵だな」と感じました。
――石黒さんのパワフルな現在を思うと、「自信がない」とは意外です。
一番の原因は、小学生の頃に男の子からひどい言葉をかけられていたことだと思います。傷ついていることを周りに言えないまま、だんだん心がねじ曲がっていきました。
そのまま大人になったので、大学時代も全く自信がありませんでした。「人と違うことをしたい」「すごい人になりたい」という気持ちだけはありましたが、具体的に何をしたいのかは分からず……。根性もないので、“カッコいいこと”ばかり追い求めていました。

親に勘当され国際結婚。時給2ドルで生きたアメリカ生活
――大学卒業後の歩みを教えてください。
大学を卒業してからは、特に夢がなかったのでアルバイトをしていたんです。「何者かになりたいけど、このままではなれない」という焦りが重なっていました。そんな日々のなかで「もう一度ドイツに行きたい」と思い、25歳の頃親に頼んで行かせてもらいました。そしてドイツで今の夫と出会い、結婚したんです。
しかし、両親は「そんなことのためにドイツに行かせたのではない」とかなり怒ってしまって。当時、夫が大学を出ていなかったこともあって結婚には反対、勘当されました。
――そんなことが……。その後はどう生活していましたか?
夫の実家があるアメリカに移住しました。ウェイトレスとして働いていたのですが、なんと時給が2ドル。当時では約200円ですね。あとは全部チップです。
アメリカでは会話が上手くないとお金をもらえないので、どうすれば自分のことを覚えてもらえるかを毎日真剣に考えていました。ジョークも真面目に研究しましたね。
日本に帰れば社会保険があり、両親もいます。しかし、私は勘当されているし、アメリカでは頼れる人が誰もいませんでした。今では、それが自分にとってよかったと思います。必死に英語を使って生きるなかで、英語が自分のものになった感覚がありました。
夫の二日酔いが、教師の道へのきっかけに

――日本に帰国したのはいつ頃でしょうか?
30歳のときです。「夫の仕事を日本で探した方がよいかもしれない」と思い、実家がある石川県金沢市に戻りました。夫の大学卒業証書と共に帰国し、最終的には両親も夫のことを受け入れてくれました。
――どのようなお仕事を探したのでしょうか。
英会話スクールでの仕事です。当時は、外国人であれば英語教師の仕事はすぐに見つかる状況でした。それと同時に、自宅でも土日だけ英会話教室を始めようということになって。2008年に英会話教室を開講しました。
――石黒さんも教えていたのですか?
いえ、最初は夫だけが教えていました。私はチラシや教材を準備していましたね。しかし、本当は私も教えたかったんです。レッスンの準備をしながら「いいな。私だったらこんなふうに教えるのにな」と思っていて。
ある日、夫が二日酔いでレッスンができないことがあったんです。「よし、チャンスだ!」と、ここぞとばかりに私が代わりにレッスンを行い、そのまま私がすべて引き継ぎました。

――二日酔いが運んできたチャンスだったのですね。
はい。もともと教材も全部私が作っていたこともあり「教えるのは私の方が絶対上手い」と思っていました(笑)。教師を始めた当時は妊娠中だったので、産後2週間は休ませてもらい、その後は赤ちゃんがそばにいるなかでレッスンを再開したんです。
その頃から、生徒さんが少しずつ増えてきていて。明確な理由は分かりませんが、おそらく口コミで教室の情報が広がっていったのだと思います。
だんだん忙しくなっていきましたが、母に頼ったり子どもを幼稚園に預けたりしながら、育児と教室を両立しました。

生徒400人でも経営難。コロナ禍での大打撃
――その後も教室は順調だったのですか?
それが、スタッフを雇い入れた辺りから収益が出にくくなってしまったんです。一人で運営しているときと同じ値段設定のままスタッフを雇っていたせいで、だんだん支出が大きくなり、生徒さんが400人いても儲かっていない状態になっていました。
採用にも苦労しましたね。私はもともと人を信じて疑わないタイプなので、少し難のある方を受け入れてしまい、大変な思いをしたこともありました。

――ところで、英語学童はどんな経緯で始まったのでしょうか?
英会話教室で、偽物の会話をするのが嫌だと感じたことがきっかけでした。たとえば、教室内で「今から先生はお母さんの設定ね、『ただいま』って言って」と伝えることに、違和感があったんです。実際の状況や動きに合わせて、「ここにカバンを入れよう」「宿題をするか遊ぶか決めて」と英語で話した方が身につくのではないかと思って。
「生きた英語を教えたい」という思いで、2016年に英語学童を始めました。しかし、金沢では初めての試みだったので最初は4人しか生徒さんが来なくて……教師、車、運転手、運営スタッフなど、とにかく費用がかかって大赤字でした。


――教室と学童の両立は大変そうです。
とても苦労しました。学童開講から4年後にはコロナ禍が訪れ、最悪のタイミングでしたね。400人いた生徒さんは200人に激減し、その後もじわじわと減り続けました。オンライン教室への切り替えも検討しましたが、年配の方は抵抗があり、そのまま辞めてしまって。コロナ禍以降も、ずっと業績が回復しませんでした。


「18年間積み上がっていない」北原氏の指摘で気がついた課題
――その後、何か転機はありましたか?
2023年12月頃に北原さんと出会ったことです。YouTubeを見て、すぐにUBM(※)に入会しました。当時の私の悩みは、「『こうすべきだ』と思っているのに、自分の軸がないから人に強く言えない」ということでした。北原さんの動画を見て「こんなふうに強く愛を持って指導できる人間でありたい」と思ったんです。北原さんは強い自分の軸を持っているから人に伝えられるのだと、憧れました。
※UBM(ビジネス行動管理大学):北原孝彦が代表を務めるビジネス塾。2020年に「北原の精神と時の部屋」として設立、2024年11月に現名称に改称。
――北原さんの「軸」とはどのようなものですか?
他人と比較しないところだと思います。自分が正しいと思っていることが、実績や経験に裏づけられている。「誰かに言われたから」ではなく、自分が「正しい」と思っていることを実践している。単なるセオリーでも誰かの真似でもないのが、私には羨ましかったんです。
北原さんに近づきたかったのですが、自分に自信が無くて悶々としていました。しかし、勇気を出して2025年8月、UBM石川支部長に立候補したんです。一度は落選して、再チャレンジを経て選出されました。その後は北原孝彦アカデミー(※)(以下、アカデミー)にも入会しています。
※北原孝彦アカデミー:UBM(ビジネス行動管理大学)の学びをベースにしながら、北原孝彦のより近くで学ぶ区画。北原氏が直接指導にあたる。メンバーは経営スキルだけでなく、人としての在り方を学ぶ。

――北原さんから教わったことで、印象に残っていることは何ですか?
「18年間も事業をしているのに積み上がっていないのは、そういう生き方をしてきたからだよね」と言われたことですね。「なんで『一緒に仕事をしたい』という人が増えていないんだ」と。
事業も自分自身に対しても「正しい道筋が欲しい」と思っていたので、「ここが間違っている」とはっきり示してもらえてよかったと思っています。ヒントをばらまくのではなく、「一本道はここです」と教えてもらえました。
好きな人に「好き」と言える自信がついた

――北原さんの教えを機に変わったことを教えてください。
陰で支えてくださっている方にも意識を向けられるようになりました。授業してくれる教師、保護者、夫のことを、今までは余裕がなくて意識できていなかったんです。周りに「ありがとう」と伝える回数が増えて、お辞儀の深さも変わったと思います。

それから、好きな人に好きと言えるようになりました。素敵だなと思った人に「好きです」「一緒に何かしたいです」と声をかけられるようになったんです。以前は拒絶されるのが怖かったのですが、今は「皆分かってくれる」「言いたかったら言えばいい」と思えるようになりました。
――実際にどんな人に「好き」と伝えたのでしょうか?
たくさんいます!たとえば、岸野まきさんです。まきさんは、いつも芯がブレない方です。大切なものを守るために、余計なものを増やさず、むしろ減らせるところが素敵だなと思って。
また、川島章弘さんにも「好きです」と伝えました。YouTubeを拝見して、筋が通っている方だなと思って。真っ直ぐで、自分の軸がある方ですよね。
――「好き」と伝えられる石黒さんが素敵です!
きっと、自分に自信がついてきたのだと思います。以前は「これはダメなのでは?」と心のなかで自分に問いかけをしていましたが、今は「北原さんだったら、しないな」と判断できるようになって。人として正しいかどうかの軸ができました。
事業のほうも、少しずつですが売り上げが向上しています。口座を毎日確認する、ムダがないか見直すなど地道な行動が効果を出していますね。
実は、北原さんが「ゴミに気づいたらすぐ拾えるかどうかが大事だ」と話していたのを聞き、ゴミ拾いを始めたんです。それ以来、いろいろなことに目を向けられるようになりました。以前の私はゴミを見つけても「後でいいや」と思っていて。それは、事業や人生における行動を後回しにしているのと同じなんですよね。

――今後取り組みたいことを教えてください。
一つは、日本人の英語教師の仲間を作ることです。日本人の英語教師は、「ネイティブに敵わない」と自信がない人が多いんです。しかし、日本人だからこそできる指導があります。たとえば、数学が得意な子には論理的に教えるなど、生徒さんの強みを引き出せる教師が増えるといいですよね。まずは、教師向けの勉強会から始める予定です。
もう一つは、英語のスパルタ合宿です。主に高校生に向けて、朝から晩まで英語漬けの泊まり込みの合宿を開催したいです。自信がなくてできないと思い込んでいる子どもたちに、「まだチャレンジしていないだけだよ」と気づかせたい。英語を習得する体験が他の教科への自信にもつながると思います。

私が一番大事にしたい軸は、「人と比べない社会の実現」です。
日本人が英語を話すとき「発音が下手だと思われたら嫌だ」という声をよく聞きます。しかし、ヨーロッパに行くと発音を気にせず英語を話している人ばかりで、誰も笑ったりしません。
英語を通して、「人と比べない社会」に少しでも近づきたいと思っています。
取材を終えて
「好きです」とまっすぐ伝えて、「ありがとう」を惜しまない。石黒さんのこの習慣、素敵だなと思います。かつては自信がなかったとは思えないくらい、素直でまっすぐな方だと感じました。
その根っこにあるのが「人と比べない社会をつくりたい」という想い。それぞれの良さを認めて、自分の言葉で語ること。英語や異文化に触れるのは、そのための入り口なんですよね。子どもの頃に育った自信が、大人になって支えになる。そんな地盤をつくる石黒さんの事業は、とても意義深いなと思います。
(記事制作:ひとひら企画/インタビュアー:渡辺まりこ、人生の軌跡グラフ制作:Emodea・相場綾香)
※掲載情報は2026年7月現在のものです。最新情報は公式サイト等をご確認ください
