【バレーボール事業|黒木夏希】コロナ禍で止まった大学生活を転機に起業。年商約1200万円を築いた26歳の挑戦

福岡を拠点に、バレーボールスクールを運営する黒木夏希さん。現在は年商約1000万円超えの事業へと育て、小・中学生を対象に、技術だけでなく、振り返る力や自分から動く姿勢を育てています。また、UBM(※)内の「学生GRIT部」の講師も担当しています。

しかし、ここに至るまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。厳しい練習を乗り越え、高校では親元を離れた寮生活や激しいチーム内競争、レギュラーとしての重圧に向き合ってきました。大学時代には、コロナ禍で留学の道が閉ざされる苦難を経験。その後、推し活代を稼ぐためにInstagram発信を始めたことが、現在の原点です。

そんな黒木さんは、北原孝彦氏との出会いを機に、バレーボールの経験をより広く届ける視点を深めていきます。黒木さんの歩みと、これから目指す姿を伺いました。

※UBM(ビジネス行動管理大学):北原孝彦が代表を務めるビジネス塾。2020年に「北原の精神と時の部屋」として設立、2024年11月に現名称に改称。

技術だけではない。マインドも育てるバレーボール指導

――まずは、黒木さんの事業について教えてください。

バレーボールの出張レッスン、オンラインスクール、1泊2日の少人数合宿を全国各地で行い、一人ひとりの特性や課題に合わせた指導方法を提案しています。

参加者は小・中学生を中心に、バレーボール歴1〜3年ほどの、基礎に不安を抱えている子が多いです。チームスポーツでは試合に出ている選手が優先的に指導され、出場機会の少ない選手は細かい指導を受けられないことがあります。私のレッスンでは、10人前後のグループで、レシーブやスパイク、フォームなどを指導しています。

指導を受けて「メンバーに入れた」「大会で勝てた」といった声もいただいています。なかには「バレーボールを辞めようと思っていたけれど、続けるきっかけになった」と話してくれる子もいます。

――合宿では、どんなことを行っているのですか?

少人数で一人ひとりの課題を細かく確認しながら、2日間みっちり練習します。

そして練習をただやるだけではなく、一緒にプレーのビデオをみながら新たな課題発見をしたり、食事の時間もみんなで一緒になってコミュニケーションを深めたり

夕食以降の時間は集まってその日の振り返り会やバレーノートと言って、習ったことや自分の課題をどのようにまとめて整理してばいいかなどもレクチャーしています。

遠方から親子で参加される方も多く、保護者の方は、帰宅後も復習できるように動画を撮ったり、メモを取ったりしています。技術を磨くだけでなく、親子で一緒にバレーボールと向き合う機会にもなっていますね。

――オンラインスクールでは、どんなサポートをしているのですか?

プレー動画の添削に加えて、練習後の振り返り方を教えています。

子どもたちは、何かができなかったときに原因を考えず、なんとなく「次はこうしよう」と決めてしまうことが多いんです。真面目で頑張り屋の子ほど優先順位をつけられず、あれもこれもと抱え込み、努力の方向がずれてしまうこともあります。

そこで「どのような指摘を受けたのか」「どう取り組んだのか」「何がうまくいき、何がうまくいかなかったのか」を自分の言葉で報告してもらい、フィードバックしています。課題を一緒に整理し、「まずはここに集中しよう」と道筋を立てながら、努力の仕方を身につけてもらうことを大切にしていますね。

――技術だけではなく、自分で考え、伝える力も育てているのですね。

はい。コートのなかだけで、急に自分を変えられるものではないと思っていて。ですので、私はよく子どもたちに「コートで目立ちたいなら、クラスでも目立とう!」と伝えています。

――クラスでも? 

普段の生活でも、リーダーシップを取ろうということです。

プレー中はボールを落とさないために、自分から動かなければなりません。普段は隅っこにいて自分の意見を出さない子が、プレーの時間だけ積極的にボールを追いかけるのは、難しいと思います。

コートで目立ちたいなら、委員会に立候補する、困っている友達を助けるなど、普段の生活でも少しずつ自分から動く経験をしてほしいんです。実際に「学校で生徒会に挑戦するようになった」「以前より自分から行動できるようになった」という報告もいただいています。

――黒木さんが、指導するうえで特に大切にしていることはなんでしょうか。

なるべく難しい言葉を使わずに説明することです。実際に、指導が分かりやすいと言っていただくことは多いですね。

それから自分自身が選手時代にたくさん悩んだり苦労してきた部分もあったので、今悩んでいたりうまくいってない選手の気持ちにも寄り添い理解しながらその選手に必要なことをアドバイスするように心がけています

また、保護者の方が本当は子どもに伝えたいけれど、直接言うとケンカになってしまうことを、“競技経験のある第三者”として伝えることも、私の役割だと思っています。

重圧と向き合った強豪校時代が原点に

――黒木さんは、いつからバレーボールを始めたのでしょうか?

小学5年生のときです。友達が始めたのを機に「私もやってみようかな」と思ったのがきっかけでした。練習は厳しく、怒られて泣くこともありましたが、バレーボール自体は好きだったので、やめようとは思いませんでしたね。

中学でもバレーボール部に入り、1年生からレギュラーとして公式戦に出場しました。当時は勉強にも力を入れていたので、中学卒業後の進路は、進学校を考えていたんです。ところが、私がボール拾いをする姿を見た強豪校の先生が、声をかけてくれて。最終的には地元の福岡県を離れ、山口県の強豪校へ進学を決めました。

――強豪校からのスカウト……!地元を離れての高校生活は、いかがでしたか?

寮生活を送りながら、全国大会の常連校でバレーボールに打ち込みました。部員は約40人。厳しい競争のなかでレギュラーに入りましたが、選ばれた後には「自分のミスで、30年以上続く全国大会出場の伝統を途切れさせるかもしれない」という重圧がありました。

中学までは、勉強もスポーツも「できる子」として過ごしてきて。しかし、高校には全国レベルの選手が集まっていて「自分は井のなかの蛙だった」と思い知らされたんです。

その後は、周囲の期待も背負いながら、もっと頑張らなければと必死に競技を続けました。苦しいことが9割でしたが、最終的にはインターハイで全国準優勝、春高バレーで3位という成績を残すことができました。

――インターハイ準優勝! 素晴らしい成績ですね!

インターハイは、大勢の観客が自分たちのプレーを見て、歓声を上げてくれるキラキラした特別な舞台でした。一方で、同じように苦しい練習を重ねながらも、コートに立てない仲間もたくさんいました。だからこそ、その仲間の分まで頑張らなければと思っていましたね。

――高校時代の経験は、今の指導にどのようにつながっていますか?

人や状況を観察する癖が身につきました。

高校時代は、監督の表情や仕草、周囲の選手の動きをよく観察していました。監督が言葉を発さず、ジェスチャーだけで次の練習を指示することもあったので、「今どんなサインを出したのか」「何を求められているのか」を見て、自分たちで動かなければならなかったんです。

今も、生徒がどこでつまずいているのか、どのような言葉なら伝わるのかを、よく見るようにしています。

また、苦しい場面でも腹をくくる力や、自分だけではなく、周囲の人の思いを背負って行動する姿勢も身につきました。

きっかけはコロナ禍での自粛生活。Instagram発信から独立に至るまで

――高校卒業後のことも教えてください。

バレーボールで大学へ進学する道もありましたが、競技者として続けたいとは、あまり思っていなくて。「それなら、良い企業に就職した方がいいのでは」と考え、地元・福岡の大学へ進学しました。

大学では留学など、バレーボール以外のことにも挑戦したかったのですが、2年生になる頃にコロナ禍が訪れて……計画が頓挫してしまいました。

当時の私にとって大学生活は、新しいことに挑戦したり、多くの人と出会ったり、その時期にしかできない経験を積む特別な時間だと思っていました。

しかし、新型コロナウイルスの影響で大学生活は一変し、外出も制限され、思い描いていた学生生活とは程遠い日々が続きました。「このまま何もしないまま大学生活が終わってしまうのではないか」という焦りを強く感じていました。

「何か行動しなければ」と思い、国家資格や英語試験の勉強にも挑戦しましたが、自分の中ではしっくり来ず、手応えを感じることはできませんでした。

それと同時に大学卒業後に、なりたい職業は当時まだ見つかっておらず「なりたいと思えるものを見つけなきゃ」と漠然とした焦りを感じていた時期でもありました。

そんな時、大学の先輩がInstagramで情報発信を行い、副業として収益を得ていることを知りました。「これなら自分にも挑戦できるかもしれない」と思い、その先輩から学べる環境に自らお金を払って飛び込みました。

そして、コロナ禍の自粛期間を活用し、自分がこれまで培ってきたバレーボールの知識や経験をInstagramで発信し始めたことが、今の事業の原点です。

あとは、コロナ禍になる前はKPOPのアーティストが好きでよくライブのために東京や大阪へ行っていたのですが、そこで使えるお金を増やす方法はないかとも考えていました。

大学時代はアルバイトもしていましたが、アルバイトで稼げる額には限界があるのでなにか自動で収入が作れるような方法がないかなと漠然と模索していたのも大きいです。

大きな会場でたくさんの観客を惹きつけているアーティストはすごいなと今も思うので、今も時間が合えば好きなKPOPアーティストのライブに行ってエネルギーをもらっています。

――そのInstagramが、その後の仕事につながっていったのですか?

はい。毎日投稿を続けながらセールスを学び、個別相談や教材を組み合わせたオンラインサービスを作りました。大学3年生の頃には年間約100万円、4年生で就職活動を考える時期には、月30万円ほどを売り上げるまでになっていましたね。

大学では社会科の教員免許も取得していたので、卒業後は企業に就職するか、教員になる選択肢もありました。しかし、就職活動にはあまり面白さを感じられず……教えるなら社会科よりも、自分が経験してきたバレーボールの方が楽しいと思ったんです。そこで、大学3年生の終わり頃に独立を決めました。

発信を始めたとき、自分が語れるものはバレーボールしかなくて。人生で最も長く取り組み、自分自身に一番大きな影響を与えたのもバレーボールだからこそ、今の自分が社会に最も大きな価値を届けられるのも、この分野だと思いましたね。

2度のアワード優勝で発揮した、勝負どころの「度胸」

――学生でありながらすでに事業を作っていた黒木さん。何がきっかけで北原さんと出会ったのでしょうか?

大学4年生の夏頃、当時の彼氏が北原さんを知っていて、広告を送ってくれたんです。

「3年間で100円しか稼げなかったところから、50億円の企業を作った」というインパクトが強くて、「そんな人がいるんだ、とりあえず会いに行ってみよう」と興味を持ちました。

当時はバレーボール事業で月30万円、最高で月50万円ほどの売り上げがありましたが、その先の月100万円へどう進めばよいか、悩んでいた時期でもあって。2022年10月頃にUBMに入会し、福岡合宿に参加しました。

※北原の精神と時の部屋:北原孝彦が代表を務めるビジネス塾。2020年に設立し、2024年11月にUBM(ビジネス行動管理大学)に改称。

――当時、北原さんとはどんなお話を?

初めてお会いしたとき「バレーボールで月30万円ってすごいね」と言っていただきました。

以前は経営者に相談すると、バレーボール指導はビジネスとして難しいと思われやすく「もっと違うことにした方がいい」と言われることが多かったんです。だからこそ、最初に成果を認めてくれたことが、とても印象に残りました。

また、北原さんが「目の前の人に対して、世界一安心できる“大丈夫”を言うために、今日も誰よりも自分が積み重ねていく」とおっしゃっていて、「かっこいい!」と思いました。

――北原さんの教えを受けて、どんな変化がありましたか?

まず大きな成果として、2023年に開催された「北原の精神と時の部屋アワード」では、2度優勝をいただきました。

第1回は、事業の数字やビフォーアフターを分かりやすく伝えられた点を評価していただき、最優秀賞を受賞しました。

第2回は、自分の事業についてプレゼンする大会でした。最初は優勝を意識していなかったのですが、ゆりにこさんから「第1回の優勝は黒木さん。第2回も優勝なるか!」と紹介された瞬間、体育会系の血が騒いで。「よし、絶対に勝とう」と思いましたね(笑)。会場を動き回ったり、参加者に呼びかけたりする形へ、その場で作戦を変更しました。その結果、2回目も優勝することができたんです。

――その場でのアドリブを経ての優勝、見事です!

勝負どころで大切なのは「度胸」だと思います。準備してきたことや経験を信じ、最後は「失敗してもいいから、挑戦するしかない」と腹をくくる。バレーボールで培った力が、プレゼンにも生きたのだと思います。

選びたいのはお金ではなく「自分にしかできない仕事」

――北原さんからの学びを通して、事業の見え方はどのように変わりましたか? 

「なぜ今の事業を行うのか」「社会にどのような価値を残したいのか」が、以前より明確になりました。

これまで「バレーボール事業は難しい」「SNS運用代行など、別の事業をした方が稼げる」と、数え切れないほど言われて、別の事業へ進むことを考えた時期もあります。

しかし、突き詰めて考えていくなかで「お金のためだけに、気の進まない仕事を選ぶのは違う」と思うようになりました。自分にとって仕事における幸せの一つは、社会から求められていると実感できることです。

私が最も求められていて、且つ自分にしかできない仕事はバレーボール事業だと気がついてからは、迷わなくなりましたね。その結果、昨年は年商約1200万円を達成しました。以前は「年商1000万円ほどが限界かな」と思っていましたが、まだまだ可能性があると感じています。

――現在は、北原さんからはどんなアドバイスを受けているのでしょうか。

「これだけ成果が出ているのだから、もっとスポーツでの事業を世のなかに発信しなさい」と、長年言っていただいています。

そう言いながらも、私が自分で気づき、腑に落ちるまで急かさずに待ってくださるんです。私自身、指導の仕事を通して、相手ができるようになるまで待つことの難しさを感じています。だからこそ、北原さんの「待つ力」は本当に尊敬します。

また、北原さんとはお互いいじり合うような関係性もできていて。これまでかなり厳しい先生や監督と接してきたぶん、北原さんは「何に喜んでるのか」「今、怒ってるな」などがよく分かるので、接しやすいんですよね。以前北原さんに「俺、歴代のなかで何番目に怖い?」と聞かれ「ダントツで最下位です」と答えました。(笑)

競技人生のその先へ。経験を、誰かの成長を支える力に

――UBM内での活動についても教えてください。

2024年から、UBM内の学生向けコミュニティ「学生GRIT部」の講師を務めています。きっかけは、北原さんのYouTubeに2回目の出演をした直後のアワードで「学生の受け皿になってほしい」と声をかけていただいたことです。

上記のYouTube出演直後に開催されたアワードでプレゼンをした際に、約100人を前に「学生向け企画の講師をしてほしい」と改めてお話をいただき「これはやるしかない」と挑戦を決めました。

学生GRIT部では「自分で自分の人生の舵取りができるようになること」をテーマに、学生が目標と現状を整理し、必要な行動を実践できるようサポートしています。

これは、バレーボールスクールで子どもたちに伝えていることとも共通しています。目標を立て、行動し、振り返る。その積み重ねによって、自分で人生を前へ進める力を身につけてほしいと思っています。

――最後に、今後黒木さんが目指す未来について教えてください。

まずはバレーボール事業をさらに大きくし、一緒に働く仲間を増やしたいです。現在プロとして活躍している同級生や先輩、後輩たちが、現役を引退後に仕事ができる環境も作りたいと思っています。

自分一人で届けられる人数には限界があります。だからこそ、自分以外にも教えられる人を増やし、それぞれの強みを生かしながら、バレーボールを通して人生が前向きになる人を増やしていきたいんです。

そしてゆくゆくは、スポーツ選手のセカンドキャリアや教育の分野にも、価値を届けられる存在になりたいです。

※北原孝彦アカデミー:UBM(ビジネス行動管理大学)の学びをベースにしながら、北原孝彦のより近くで学ぶ区画。北原氏が直接指導にあたる。メンバーは経営スキルだけでなく、人としての在り方を学ぶ。


取材を終えて

黒木さんのことは「20代で若いのにすごい人」と以前から認識していました。膨大な量の行動や超速PDCAを努力と思っておらず涼しい顔でこなしている……。それはバレーボールで(おそらく文字通りの)血のにじむ努力を積み重ねてきたからだとガッテンしました。

こんなに優秀なお方なのに、K-POPとポケモンが大好きというユルさも素敵です。そのギャップに、思わず親近感が湧いてしまいました!

(記事制作:ひとひら企画/インタビュアー:渡辺まりこ、人生の軌跡グラフ制作:Emodea・相場綾香)

※掲載情報は2026年6月現在のものです。最新情報は公式サイト等をご確認ください。