【書籍制作サービス|岸野まき】著書を持ちたい人の夢を形に。家族や社員にとっても宝物となる一冊を届けたい

作家・写真家・編集者としてのキャリアを持ち、書籍制作サービスを展開する岸野まきさん。企画から取材、撮影、執筆、編集までのすべてを手がけ、クライアントの想いを一冊の「紙の書籍」にまとめるだけでなく、出版パーティーや読書会といった書籍を起点としたイベント・コミュニティの場作りまで伴走しています。

そんな岸野さんには、最愛の夫の闘病を支えるために一度は書籍作りの世界から離れた過去があります。夫との別れを経て、本当に作りたいものを見失っていた時期に北原孝彦さんに出会い、再び情熱を取り戻しました。

現在は念願だった北原氏の書籍制作も任されている岸野さん。書籍作りにかける情熱と、これまでの歩みを聞きました。

想いを形にする「書籍制作サービス」とは

――まず、岸野さんの「書籍制作サービス」について、詳しく教えてください。

クライアント様の人生やビジネスにかける想いを一冊の「紙の書籍」にまとめる事業です。今は企画から取材、執筆、写真撮影、そして編集まで、すべての工程を私一人で担当しています。

書籍のジャンルは主にノンフィクションです。大きく分けると「書店で売る書籍」と「書店で売らない書籍」があります。

書店で売らない書籍は、クライアント様が作りたい内容で制作しています。自分の半生で綴り続けたものをまとめられた方もいますね。一方で、書店で売る書籍の場合は、知らない方が読んでも面白い形にしたほうがいい。テーマによって、どうしたら売れる書籍が作れるかをヒアリングや相談をしながら詰めていきます。

――取材はどのように進めていくのですか?

1回あたり3〜5時間の対面取材を、5回〜8回重ねます。できるだけクライアント様のもとに赴いて直接お話を聞こうと思っており、過去には岩手県にお住まいの方の書籍を作るために、3泊ほど滞在して取材したこともありました。

――深く向き合っているのですね。電子書籍ではなく「紙」にこだわっているのはなぜでしょう?

子どもの頃から紙の書籍に救われてきたから、というのが理由の一つです。

また、紙の書籍には、圧倒的な「普遍性」があると思うんです。インターネットの情報は流れていくのが早く、いつでも書き換えられてしまいます。しかし、紙の書籍は一度印刷して形になると簡単には消せないので「変わりやすいことは書かない」という特性もあります。

私は作家としても長く活動してきましたが、執筆から何年も経ってから、たまたま図書館で読んでくれた方からお手紙をいただくこともあるんです。こういったことが起こるのも、紙ならではですね。

書籍を起点に広がる「人とつながる場作り」

――まきさんは、書籍を起点にした「場作り」のサポートもしていると聞きました。

最初は書籍を作りたい人を探していたのですが、今は「書籍を通して“人とつながる場”を作りたい人」とご一緒したいと思っています。出版パーティーや読書会など人が集まる場を作るきっかけとして、書籍があるイメージです。

――素敵ですね。実際にまきさんが手がけた例だと、どんな場作りを行っているのでしょうか。

以前、元HONDAイギリス副社長であり現在はビジネスコンサルの 須山彰人さんの書籍を出版したときには、須山さん主催の出版記念講演会を行いました。書籍を手に取ってもらいつつ、須山さんと参加者が交流できるイベントです。私は運営メンバーとして、書籍手配などのサポートをしました。

書籍を出したあと、自分が主体でイベントを開催できる方もいれば、自力では難しい方もいます。イベント企画に慣れていない方にはその道のプロをおつなぎできますし、もちろん私も運営をサポートします。

――書籍が一冊あることで、大きな人の渦が生まれるんですね。

はい。読書会もあくまで主催は著者ですが、私はファシリテーターとしてご一緒しています。書籍のなかから一部抜粋してみんなで音読し、そこで感じたことや、自分のエピソードで思い出したことを共有します。

教科書として一方的に学ぶのとは違い、読者が何を感じたかをアウトプットしていくので、とても充実した時間が過ごせますね。須山さんの読書会では「覚悟をどう決めるか」という問いに対して「自分の覚悟がまだ固まっていないのだな」といった感想が出たり、「どうやって覚悟を決めればいいか」を話し合ったりしました。

「適当に書くな」編集者の父から学んだ文章への姿勢

――岸野さんの書籍作りの原点について教えてください。

私の父が「マガジンハウス」という出版社の編集者だったこともあり、家のなかはとにかく本だらけ、写真集だらけという環境で育ちました。家族でご飯を食べに行った後には本屋さんに寄って「好きな本を一冊選んでいいよ」と言われることも多かったです。とにかく本が身近にある環境でした。

幼い頃の記憶はあまりないのですが、物心ついた頃から「書く」というのは身近なことでした。子どもの頃から父に「書いた方がいいよ」と言われて育ったんです。

小学生のときには、父と交換日記をしていました。あるとき、私が書くのが面倒臭くなってしまい、適当に、雑な字で書いたことがあったんですよ。すると、父にかなり怒られました。「適当に書くな」「書くならちゃんと書け」と言われたのを、今でもよく覚えています。

――お父様は、文章への妥協を許さなかったんですね。お父様からどんなことを学びましたか?

「文章とは、どういう姿勢で書いたか読んだ人には分かるのだな」ということを学びました。丁寧に書かないと、相手に伝わってしまう。書くことへの姿勢を、父から叩き込まれました。

この経験は、今の私の書籍作りの根底につながっています。一言で言うと「歪めて伝えないこと」。私は文章を書くときに、物事を歪めて伝えたくないんです。

――歪めて伝えない、とは?

書籍の場合は著者、写真なら被写体が持っているよさを、そのままストレートに伝えたいんです。そのためには、私自身が変なフィルターになってはいけない。色を変えてしまうフィルターではなく「きめを細かくするフィルター」であろうという気持ちで、いつも臨んでいます。

なぜなら、人の心を強く動かすのは、やはり「本当のこと」や「事実」だと考えているからです。だからこそ、脚色はしないで事実をそのまま形にしたいと思って書籍作りをしています。

恩人たちの言葉を胸に続けてきた、写真と文章

――幼い頃から写真や文章が身近にあった岸野さん。これまでどんなキャリアを歩んできたのでしょうか。

中学校2年生のときに一眼レフをもらって、写真を撮り始めました。詩も書くのが好きだったので、自分で撮った写真に言葉をつけることを、長く行っていましたね。

中学生の頃から「将来は写真か文章のどちらかを仕事にしよう」と思っていて、当時は写真のほうが好きだったので、カメラマンになろうと考えていました。

大学時代にはバックパッカーとして旅を始め、これまでに18カ国ほど旅行をしたのですが、最初に訪れたベトナムで撮った写真を見返して「人の写真を撮ると、撮った人と被写体の距離感が出るな」と感じたんです。写真を仕事にするなら、コミュニケーション能力を上げないといけないと思いました。

その後、24歳でカメラマンとして仕事を始めました。最初の頃はよく父と一緒に仕事をしていて、東南アジアのリゾートホテルを紹介する書籍を制作しました。

――写真の世界からのスタートだったんですね。どんな経緯で文章を書く仕事が始まったのですか?

ペアを組めるライターさんを探したことがきっかけでした。書籍はテーマありきなので、文章を書く人がいないと成り立ちません。写真は書籍の出発点ではないんですよね。そのため、26歳の頃に、一緒に書籍作りをしてくれる同世代のライターを探したのですが、当時はどうしても見つけられなかったんです。

その点、私は子どもの頃から文章を書いていましたし、学生時代にお手伝いした書籍の著者である杉村太郎さんから、文章や手際を褒めてもらった経験もありました。「いないなら、自分で書こう」と、カメラマンをしながら自分で書き始めたことが、文章を仕事にした経緯です。

――杉村さんに認めてもらえたことが、踏み出すきっかけになったのですね 。

そうです。杉村さんはとても情熱のある方で、いつも前向きな言葉で背中を押してくれました。 

もう一人、大きな支えになったのは、父の元上司であり「マガジンハウス」の元社長(のちに会長・最高顧問)である木滑良久さんです。お会いしたときに「あなたはいい目をしているから、いつか大きい仕事をするのではないか」と言っていただいて。木滑さんとは文通もしていて、いつも「あなたなら絶対大丈夫だから、信じる道を進みなさいよ」と励ましてくださいました。

――偉大な先輩方が、岸野さんをずっと応援してくれていたんですね。

はい。「木滑さんがそう言うなら大丈夫だろう」という気持ちが、大きな支えになりました。 大先輩たちが応援してくれるなら、自分が「できない」と決めつけずに、できるところまで挑戦してみようと思えたんです。

父からも常々「できないと思ったら、そこでできないことになるよ」と言われていたので、とにかく「やろうと決めたらやる」という精神で挑戦してきました。

ぽっかり空いた心の穴を埋めた、北原孝彦氏の存在

――写真と文章を武器に書籍作りを続けていた岸野さん。2024年にUBM(※)に入るまでに、どんなことがあったのですか。

40歳のときに夫の病気が急激に悪化してしまい、一度書籍作りの仕事からは離れました。最愛の夫との暮らしを、私が大黒柱になって支えようと決めたんです。当時は作家として活動していたのですが「今の働き方では生活を支えるのは難しい」と思い、一度どこかに勤めようと思いました。

とはいえ、本心としては書籍出版の仕事を離れたくなくて……「取材し、文章を書き、写真を撮ること」は続けたかったので、広報誌制作の仕事を見つけ、派遣社員として入社しました。後に正社員になり、計8年ほど勤務しましたね。

※UBM(ビジネス行動管理大学):北原孝彦が代表を務めるビジネス塾。2020年に「北原の精神と時の部屋」として設立、2024年11月に現名称に改称。

――そんなことが……書籍作りを離れることに対して、どんな心境だったのでしょうか。

書籍作りが大好きなので、本当は絶対に辞めたくない仕事だったんです。しかし、それよりも夫のことや、二人の生活を支えることの方が大事だったので、簡単に手放せましたね。その代わりに「一度書籍作りは離れるけれど、絶対に戻ってくる」と心に決めて辞めました。

――固い決意があったのですね。

はい。しかし、その後夫を亡くして2年ほど、広報誌の仕事は続けていたものの、半分意識がどこかに行っているような……「ただ仕事をして、ただ生きているだけ」という状態で過ごしていました。。

心にぽっかり穴が空いたような気持ちで「いつか書籍作りへ戻りたい」と思っていたはずなのに、自分が作りたいものがなくなってしまったんです。企画を考えてみても、最終的には「別に、作らなくてもいいかな」と思ってしまうような心理状態でした。

――苦しい期間でしたね……。どのように書籍作りへの情熱を取り戻したのですか?

2023年の10月に会社の同僚から「面白いから見てみては?」と女性起業家が、4人の方と対談している動画を勧められたことがきっかけでした。1本目の動画が面白かったので「ほかのものも見てみよう」と思って。北原さんの風貌が目に留まり「このビジュアルの人がどんな発言をするのか?」と気になったんです。

北原さんの動画を見ているうちに「この人は私が知りたかったことを全部話している」と思いました。自分の持っている技術を北原さんが話す流れで展開していけば、私は書籍作りをこれまでとは違った形で仕事にできるかもしれない、と。

自分のなかでよく理解できていなかったことが言語化されていて「起業って面白いな」と感じて。「起業をテーマに、北原さんの書籍を作りたい」と思いました。動画や過去の著書から、人間的にも魅力を感じました。

行動を変えて成果を出し、掴み取った北原氏の書籍制作

――北原さんに心を動かされてから、どのように動いていったのですか?

2023年11月の半ばあたりに「北原さんの書籍を作りたい」という企画書を、自分の著書と手紙を添えて北原さんに送りました。 ただ、当時はお互いを全く知らない間柄だったので当然返事はなく、私も「そう簡単に実現するわけがない」と思っていました。

その後、同年12月に説明会に参加し、2024年の1月にUBMに入会。今思えば、夫を亡くして一人ぼっちになってしまって、居場所を探していたのかもしれませんね。

「いつか北原さんの書籍を作れるように、まずは自分が成長しよう」と決めていたので、UBMに入会してからも手紙のことは一切口にせず、北原さんに書籍の話を持ちかけることもありませんでした。

――まずはご自身の事業を成長させるという、固い決意ですね。

はい。ただ、最初はなかなか成約につながる動きができずにいました。転機になったのは、入会して半年以上経った2024年8月、北原さんとの面談でした。北原さんから「書籍作りのセミナーを開催しなさい。いつやるの?」と、お尻を叩かれるように言われたんです。 その場で「すぐに開催します」と答えて、一気に8月末から毎月セミナーを開催しました。

自分で実行すると決めて行動に移したことで、成約にもつながっていきましたね。2024年11月には会社員を辞め、成約しなかったら作家活動を本業に戻そうと決めました。その同じ頃に、書籍制作サービスでの最初の仕事を受注しました。

――素晴らしいですね!一気に行動が加速したのですね。

そうですね。事業を伸ばしていき、売り上げも1000万円を超えました。そして、ついに念願だった北原さんの書籍制作を任せていただけることになったんです。現在、2027年1月の出版を目指して作っている最中です。書籍の大きなテーマは相談しながら決めて、細かなところはお任せで委ねてくださっています。

北原さんの好きなところを聞かれたら、私は「優しいところ」と真っ先に思います。とても、人のことを思っている方なんです。まだ見ず知らずだった私が数年前に送った手紙のことを、2000人以上もスクール生がいるのに、きちんと分かってくれていました。一度も私からは手紙のことは言わなかったのに、ずっと黙って見守っていてくれて、今、書籍を作らせてくれている。だからこそ、最高の一冊を作りたいと思っています。

「著書を持ちたい人が、自分の書籍を持てる未来」の実現へ

――今後の事業展開については、どのように考えていますか。

すべてを一人で担当しているので、今後は同じ想いを共有して一緒に書籍を作っていけるライターや編集者のチームを作っていくことが、私の課題です。

実は「新しくお仕事が出てきたときにお願いしてみようかな」と思える仲間が少しずつ見つかりつつある段階なんです。ただ、実際にチームとして一緒に動いたことは、まだありません。やはり誰かに書いてもらったとしても、最終的な編集は私が責任を持ってしなければいけないと思っています。私の書籍作りの姿勢や想いに共感してくれる仲間を見つけて体制を整えていきたいです。

――同じ熱量を持った仲間とチームを作っていくのですね!岸野さんが実現したい最大の目標は何でしょうか。

「著書を持ちたい人が、自分の書籍を持てるようになり、その書籍を中心に人と人がつながっていくこと」です。いつか書籍を作りたい、自分の著書を持ちたいと思っている経営者の方や、表現したいものがある方の夢を形にするお手伝いをしていきたいと思っています。

書籍ができると、ブランディングになったり信用性を高めたりという効果はもちろんありますが、なにより自分の書籍が完成する喜びは独特なものなんですよね。

――独特の喜び、ですか?どんな感覚なのでしょう?

私自身も作家活動をしてきて自分の著書が13冊あるのですが、でき上がった書籍を枕元に置いて寝てしまうような……そんな愛おしさがあるんです。ゼロから生み出すものだからこそ、自分の宝物になります。

書籍の価値は、著者本人だけのものに留まりません。ご両親や大事な家族、会社を経営されている方であれば一緒に働く社員にとっても、その人の生き方や想いが残る財産になるんです。

周りの人たちにとっても価値のある愛される書籍を、世の中に一冊でも多く増やしていきたいと思っています。

書籍制作サービス|岸野まき

書籍制作サービス

書籍製作サービス 岸野まき公式サイト
Instagram
X


取材を終えて

岸野さんは自らの仕事を「きめを細かくするフィルター」と表現していたのが印象的でした。色を変えず、歪めず、著者の想いをまっすぐ映し出す。「本当であること」にこだわり、一つひとつの表現に責任を持つからこそ、書籍には本物の熱が宿り、読む人の心を震わせます。

実際、須山彰人さんの本『起業に挑戦したら空が碧く見えた』には、ご本人が語りかけてくるようなリアルさがありました。同じライターとして、深く感銘を受けた取材でした。 

(記事制作:ひとひら企画/インタビュアー:渡辺まりこ、人生の軌跡グラフ制作:Emodea・相場綾香)

※掲載情報は2026年6月現在のものです。最新情報は公式サイト等をご確認ください。