【コンサルタント|須山彰人】「本気の挑戦をしてこなかった」50代で独立した起業家が「チーム化」の覚悟を持つまで
コンサルや講座を通じて、起業に挑戦する人たちを支援している須山彰人さん。「勝つPDCA」サイクルを軸に、売り上げや集客、成約の課題に向き合い、現在は約70人の受講者・クライアントを抱えています。
総合商社に入社し、その後ホンダへ転職。ロシア、トルコ、イギリスなどで海外駐在を経験しました。しかし50代を迎える前、「本気の挑戦をしてこなかったのでは」という思いから、会社を退職。インバウンド旅行者向けの動画制作「Sym Film」を立ち上げ、やがてビジネス改善を支援するコンサルへと転身しました。
そんな須山さんが、個人での戦い方を確かめるために学んだのが北原孝彦さんでした。そこで見えてきたのは、仲間の人生の一部を背負う覚悟だったといいます。須山さんのコンサルの中身、会社員時代の経験、北原さんとの出会いについて伺いました。
月商100万円も目指せる!PDCAで土台から整えるコンサルの中身

――現在の事業内容について教えてください。
個別コンサルとグループ講座、あとはコミュニティです。グループ講座は、これから挑戦したい方や、会社員をしながら副業から始めたい方が多いですね。個別コンサルは、すでにビジネスに取り組んでいるものの、売り上げが安定せず、もう一度土台から作り直したいという方が中心です。受講者やクライアントの事業ジャンルは、無形商材、有形商材、店舗ビジネス、BtoB、BtoCまで幅広いです。

――須山さんのコンサルとは、具体的にどういうものなのでしょうか。
PDCAサイクル※を使います。言葉自体はよく聞くと思いますし、ネットにもいろんな情報があります。でもネットや書籍にあるPDCAの解説をみても、僕は「これじゃ回らないだろうな」と感じることが多いんです。かなり過酷なビジネスの最前線で本気で実践してきたからこそ、よくあるネットの情報などの説明は形だけのものに見えてしまうんです。
本気でビジネスを改善するなら、大事なのはほぼ「Plan」なんです。事業が改善するかどうかは、Planの解像度で決まる。だから、クライアントさんとはプランの精度を徹底的に上げていきます。
※Plan(計画)→Do(実行)→Check(評価)→Act(改善)の4段階を繰り返して業務やプロセスを継続的に改善するマネジメント手法

――プランが大事なんですね。分かりやすい例はありますか。
たとえば、月商100万円を目指すとします。そのためには、達成条件を洗い出し、「何がどれくらいできたら届くのか」というKPIを論理的に設定します。
加えて、必要なのは、商品やサービスの価値を言葉にすることです。価値が伝わらなければ、「欲しい」という人は現れない。そこから、その価値を届ける「集客の再現性」、集まった人に欲しいと思ってもらう「セールス成約の再現性」、より高い単価で選んでもらうための「単価アップ」、一度購入した人に再購入してもらうための「リピート施策」が必要にります。
ただ月商100万円を目指しているだけだと、何をすればいいか分からない。でも、逆算して「必要な行動」まで落とし込めば、あとはそれを追いかければいい。これを3カ月ごとに見直し、足りなかったところを改善していく。つまり、PDCAをまわす。そうすれば100万円に届くということです。
6カ月で月商1000万円も、実践と修正で伸ばすグループ講座

――グループ講座はどのようなものですか。
基本的には、すでに提供したい商品がある人や、その予定がある人に向けた講座で、実践と修正まで含めて6カ月で一通り形にしていきます。
前半3カ月は講義、添削、個別面談で理解度や抜け漏れを確認します。こうして商品の価値の言語化、Instagramでの見せ方、セミナー資料、個別相談のトークスクリプトなどを整え、自分の腹に落ちたアクションプランを作ります。後半3カ月はコミュニティに残り、前半で作った資料やプランを実際の現場で使いながら改善していきます。
――須山さんのところに来る方は、何に困っている方が多いのでしょうか。
人によって違いますが、売り上げが安定しない、集客できない、成約できない、単価を上げられないといった悩みが多いですね。でも、ビジネスの原理原則は、そんなに難しくないんです。見込み客数、成約率、単価、リピート率。こうした要素を見ていけば、弱いところが見えてきます。あとは、そこを整えていけばつながるという感じです。

――生徒さんのなかで、分かりやすい実績を挙げた方はいますか。
セミナーなどで紹介している例では、子育て中の女性がファッションスタイリストになり、売り上げがほぼない状態から月商1000万円を超えたケースがあります。ほかにも、会社員が副業からゼロで始めて、同じ規模まで伸ばした人もいます。さらに、シングルマザーで小さい子どもを育てながら、在宅ワークで月商300万円を超えている人や、4人の子どもを育てながら月商500万円を超えている人もいます。
「おじさんの星になりたい」出版で広がった新たな出会い

――須山さんは2026年1月に河出書房新社より『起業に挑戦したら空が碧く見えた』を出版されました。今回の出版企画は、いつ頃から始まったのでしょうか。
本が出た時から、ちょうど1年半ほど前です。ライターの岸野まきさんから「須山さんが取り組んでこられたことは、本にしたい」と言われて。ただ僕は全然興味がなくて「別に本は出したくないです」と言いました。でも、何度も声をかけていただくうちに、出版記念イベントを通じて新しい出会いや接点が生まれるなら、やる意味があると思い、承諾しました。

――実際に作ってみて、良かったことはありますか。
結果的には、作って良かったと思っています。あんなに細かく自分の人生を思い出して言葉にする機会は、なかなかないと思うんです。自分の人生が整理されて、引き出しにしまえたような感覚がありました。
制作期間は大変でした。全然進まなくて、まきさんに怒られながら書いた感じです。インタビューは4回ほどで、1回あたり2〜3時間。ストーリーや流れはまきさんに作ってもらい、本文は全部自分で書きました。執筆は去年の6月から10月頃まで、空き時間があればずっと執筆していました。

――本を出したことで、何か広がったものはありましたか。
客層が少し変わりました。僕はもともと「おじさんの星」になりたいと思っていたのですが、YouTubeでは女性視聴者が多く、おじさんたちにはなかなか届かなかった。それが本を出したことで、セミナーに50歳前後から60代の男性が増えました。会社員として働き続けることにモヤモヤしている人たちには、YouTubeよりも本が合っていると思います。
また、出版記念イベントや読書会も開催しています。そうした場をきっかけに、僕のクライアントになってくれる人もいます。実は本の巻末に特典をつけていて、今でも少なくとも2日に1回ほどは、本から公式LINEに登録してくれる人がいます。
海外駐在で手にした自由と、ロシア赴任で味わった極限の日々

――須山さんのこれまでのお話も聞かせてください。大学卒業後は、どのようなキャリアを歩んだのでしょうか。
総合商社に入りました。もともと大学時代にバックパッカーをしていて、登山部で海外の山に行くことも多かったんです。そのときに日本の駐在員の方にお世話になることがあり、海外で働く姿を見て「かっこいいな」と思って。
商社ではトルコへ語学留学し、イランにも駐在しました。そこで身につけたトルコ語を生かしたいと思っていたのですが、イスタンブールの拠点がクローズし、その機会がなくなったように感じたんです。そこで、トルコで継続的にビジネスをしている会社を探したところ、現地に工場を持つホンダを見つけました。工場があれば簡単には撤退しないだろうと思い、選考を受けることにしました。
――ホンダに転職したのは何歳のときですか。
32歳の頃です。ホンダには二輪や芝刈り機などもありますが、僕は四輪の海外営業でした。最初は中近東・アフリカエリアを4年担当し、その後、ロシアに駐在して4年。本社に戻ってからは、開発企画という商品企画・商品開発の部署にいました。その後、トルコやイギリスにもいました。
海外は日本と違って、自分の時間がたくさんあるんです。ロシアは特別過酷でしたけど、トルコでもイギリスでも、クリスマス休暇や夏休みがありました。一方で、日本本社がゴールデンウィークやお盆、年末年始に休む時期もあります。だから、仕事をきちんと回していれば、自分の時間を作りやすかったんです。僕はいつも、「アリとキリギリスの真ん中がいい」と思っていました。アリみたいに働き続けるのも嫌だし、キリギリスみたいに遊んでばかりいるのも嫌。その真ん中が、幸福を最大化できると思っていたんです。

――在籍中に思い出深いエピソードはありますか。
ロシアは、僕が赴任した2007年当時、景気がとても良くて、車も飛ぶように売れていました。毎年、倍々の勢いで伸びていたので、販売計画も発注計画もフルアクセルで進めていたんです。でも、そこにリーマンショックが来ました。車は発注からロシアに届くまで半年ほどかかります。10万台売った翌年に20万台を目指していたところで、ほとんど売れなくなった。でも工場は止まらず、車はどんどん来る。最後は置き場所もなく、船を浮かせたままにしていたような状況でした。
――そのとき、どのような心境でしたか。
精神的にかなり追い詰められていました。夜中の3時、4時まで仕事をして、家に戻って1〜2時間だけ寝て会社に行く生活が、1年ほど続いていて。自分が壊れるのが先か、任期が終わるのが先か、毎日考えていました。寝ても、夢の中で在庫管理のExcelを見ているんです。1台何百万円もする車の在庫が48カ月分ほど積み上がり、シートの端まで数字が続いている。その一反木綿のように長いExcelシートが、そのまま自分の布団になる夢を見ていました。
日本だとチームで動くので、責任の所在が曖昧になることもあります。でも海外に出ると、ピンポイントで自分の責任になってしまうので、逃げ場がないんです。結局、ロシアで売れない車は海外に売りました。まだ赤字ではあったんですけど、「今年は黒字にします」という予算を作って、僕の任期は終わりました。
「大谷翔平にもコーチがいる」50代で会社を辞め、時の部屋に入った理由

――ホンダを退社したのはいつでしたか。
2022年です。イギリスにいたとき、現地スタッフから「須山さんの挫折経験や失敗談を話してください」と言われたのですが、うまく説明できなかったんです。サラリーマンとして挑戦しているつもりでも、本気の挑戦はしてこなかったのかもしれない、という反省がありました。
もう一つは、海外駐在を繰り返すなかで、「また同じことを繰り返しているな」と感じたことです。海外に行き、本社に戻り、また違う国に行く。RPGで言えば「この村で知らないことはもうないな」と思ってしまったんです。だったら、50代はもっと刺激のあることに挑戦した方がいいのではと思いました。
――退社後は、どう動いたのでしょうか。
最初に始めたのは動画制作です。外国人とのコミュニケーションが得意で、カメラも好きだったので、インバウンド旅行者向けに「旅の思い出を動画で残しませんか」というサービス「Sym Film」を始めました。でも、最初はまったく売り上げが上がらなかった。そこで浅草のレンタル着物店に営業し、着物を借りた人にオプションとして案内してもらえるようになってから、少しずつお客さんが増えていきました。
その後、動画制作はテンプレ化し、僕が現場に入らなくても回るようになりました。その頃から、さまざまな方から「うちの動画も作ってよ」と頼まれるようになって。ただ動画を作るだけでは集客につながらないので、3〜4カ月ほどサポートしたところ売り上げが伸びたんです。そのときに、コンサルタントとして活動しようと思いました。自動車販売店にビジネス指導をしてきた経験もあり、こちらの方がダイレクトに価値提供できると思ったんです。

――そこまで事業が順調なのに、なぜ北原さんから学ぼうと思ったのですか。
北原孝彦の精神と時の部屋(※)(現・UBM)(※)に入った理由は、ゼロから学ぶためというより、個人での戦い方を確認するためでした。会社の看板を背負ってマーケティングや営業をするのと、個人でサービスを届けるのは明らかに違う。さまざまな人のYouTubeを見ていましたが、長くビジネスの現場で感じてきたことに一番近かったのが北原さんでした。
実際に入会して弟子区画(※)にも入りましたが、取り組むべきことや、その先に何があるのかも分かっていました。でも、自分では気づかないうちにフォームが崩れることもある。大谷翔平選手にもコーチがいるように、自分にも崩れたら指摘してもらえる場所が必要だと思ったんです。壁打ちでは、ほとんど経過報告で、行動が合っていれば「そのまま継続してください」と言われる。その安心感があったから、迷いなく行動できました。
※北原の精神と時の部屋:北原孝彦が代表を務めるビジネス塾。2020年に設立し、2024年11月にUBM(ビジネス行動管理大学)に改称。
※UBM(ビジネス行動管理大学):北原孝彦が代表を務めるビジネス塾。2020年に「北原の精神と時の部屋」として設立、2024年11月に現名称に改称。
※弟子区画:「3年間は挑戦から逃げない」と北原孝彦と約束した人が参加する。毎月の月報提出に加え、弟子合宿では全員が活動報告を行う。現在は募集を終了している。

――挫折・失敗談をうまく説明できなかったことが退社のきっかけだったと話していました。起業後、失敗や挫折の捉え方は変わりましたか。
起業して1〜2年ほど経ったときに、「これは失敗しない」と思ったんです。なぜなら、PDCAが自然に回ってしまうからです。僕は小さな失敗を「データ」と捉えるので、失敗だと認識する前に、理想とのギャップを埋める方向に動いているんだと思います。だから今、「挫折経験はありますか」と聞かれても、「ない」と答えると思います。
アカデミーで気づいた「チーム化」と覚悟

――なぜ北原孝彦アカデミー(※)(以下、アカデミー)に入ったのですか。
個人でできることには限界があり、より多くの人に価値を届けるには、チームで事業を作る必要があると感じていました。だから早い段階から「自分の課題は組織化だ」と考えていたんです。
ただ、当時はまだ課題認識が甘かった。チームを作るということは、そこに加わる人の人生の一部を背負う覚悟が必要だということです。最初はスキルの高い人と組むこともあります。でも、それだけでは盤石なチームにはならない。自分のミッションに共鳴してくれる人でなければ続かない。そのことに痛烈に気づいたのが、去年11月の救世企画のYouTubeだったと思います。
※北原孝彦アカデミー:UBM(ビジネス行動管理大学)の学びをベースにしながら、北原孝彦のより近くで学ぶ区画。北原氏が直接指導にあたる。メンバーは経営スキルだけでなく、人としての在り方を学ぶ。
――今おっしゃった「覚悟」とは、何に対するものでしょうか。
起業に挑戦していると、やるべき行動があります。それを言い訳なくやり遂げるのも一つの覚悟ですが、さらに必要なのは出てきた結果に向き合う覚悟だと思っています。全部やり切ったけれど、数字が足りない。思うようにいかない。その結果と理想のギャップに向き合う。そこまでの覚悟があれば、「何が足りなかったのか」を見にいくようになり、PDCAも自然に回っていきます。
僕のチーム化で言うと、最初に気にしていたのは、誰かと一緒にやる時に、業務委託契約をどう結べばリスクがなくなるのか、ということでした。でも今思えば、それは覚悟が足りなかったから出てくる発想だったんです。
大事なのは、「やることをやっても数字が出ないかもしれない。それでもいい」と言ってくれる人を探すことではありません。「そうしないんだ」という覚悟です。「全部やり切ったけど、成果が出なかったね」で終わらせてしまえば、相手の人生にダメージを与えてしまう。だから、相手の人生を背負う覚悟がないなら、声はかけません。

――その気づきがあって、今のチーム体制はどのようになっているのでしょうか。
今は、ビジネス講座のアシスタント講師が3人、秘書チームが3人います。僕のそばで一緒に進みたいと言ってくれる人がいて、僕自身の覚悟も固まり、少しずつ集まってくれました。
――心強いですね。仲間が増えたことで、何が変わりましたか。
僕のコミュニティには今70人ほどいます。そのなかの6人が、僕のそばで同じ経済圏を作るような動きをしてくれています。受講生の売り上げが伸びると、Instagram運用をアシスタント講師に依頼したり、さらに伸ばしたい人が僕の個別コンサルに来たりする。そうした形で、成果が次の仕事や相談につながる循環ができています。

――今後取り組みたいことはありますか。
その循環を、もっと大きくしていきたいです。今は、コミュニティメンバーだけが使える、ココナラのようなマッチングの仕組みを作っています。メンバーの売り上げが立ってくると、外注やセルフブランディング、プロフィール文の作成など、プロに頼んだほうがいいことも出てくる。その受け皿にしたいんです。
抽象度は高いですが、「強くて、楽しくて、いいやつ」に囲まれたいという願望があります。今この瞬間に強くなくても、この場にいれば強くなっていくと思っています。具体的には、コミュニティメンバーが集まれる場所を作りたい。楽しくて、いいやつが集まる場にしたいですね。
取材を終えて
須山さんは、初めてお見かけした頃から「この人、ただ者じゃないな」というオーラを放っていた方でした(そしてイケオジ、という言葉がぴったり)。
お話を伺って何より感じたのは、圧倒的なブレのなさです。「失敗はデータ」と言い切り、迷う様子がまったくないんです。過酷な最前線で本気の勝負を重ねてきた人だからこその凄みだなと感じました。強くて、しなやかで、それでいて気さく。須山さんのこのバランス感覚に、すっかり魅了された取材でした。
(記事制作:ひとひら企画/インタビュアー:渡辺まりこ、人生の軌跡グラフ制作:Emodea・相場綾香)
※掲載情報は2026年7月現在のものです。最新情報は公式サイト等をご確認ください

