【宿泊事業|中村美智也】事業多角化の失敗と妻との別れ。苦難の果てに目指す、人が集まりつながる場所作り
「暮らすように泊まる」をコンセプトに、東京都内を中心に一軒家を丸ごと貸し切る宿泊事業「とまりーと」を展開する中村さん。地元・北海道での空き家再生事業なども手掛けています。
中村さんには、コロナ禍で一気に事業を拡大させた裏で、最愛の妻との別れという辛い過去がありました。事業に奔走するあまり家族へ負担をかけていたと猛省し、心が空っぽになっていた時期。そんな彼を支えたのは、UBM(※)で北原孝彦氏と交わした「約束」でした。
現在は、「お金」よりも「人とのつながり」へと価値観を大きく変え、自身の原点である人が集まりつながる場所作りに邁進する中村さん。これまでの軌跡と、今後の展望に迫ります。
※UBM(ビジネス行動管理大学):北原孝彦が代表を務めるビジネス塾。2020年に「北原の精神と時の部屋」として設立、2024年11月に現名称に改称。
暮らすように泊まる貸切宿「とまりーとSTAY」

――中村さんの宿泊事業について教えてください。どのような宿を運営しているのですか?
東京都内を中心に「とまりーと」という貸切宿を運営しています。法人で4軒、個人で1軒の宿を保有しています。宿は新宿、渋谷、品川などにあり、基本的には一軒家丸ごとの貸切型です。ベッドの数にもよりますが、8人から最大12人まで泊まれる施設もありますね。
現在オープン準備を進めている横浜の施設は、マンションタイプです。ほかの施設は「とまりーとSTAY」という名前ですが、横浜では「都市型」という意味を込めて「とまりーとSTAY Urban」とブランド名を変え、違いが分かるようにしています。
宿のコンセプトは「暮らすように泊まる」。家族や友達同士でバラバラに泊まるのではなく、同じ空間で一緒にワイワイ過ごした方が楽しいですよね。

――10人以上で泊まれる一軒家となると、どのような方が利用しているのでしょうか?
利用者の95%が、海外からのご家族や友人グループです。多くの人がAirbnbやBooking.comなどの宿泊サイト経由で見つけてくれます。
旅行の際の長期滞在場所として、平均して4日以上、長いと1週間以上泊まる方もいますね。なかには、広い一軒家を一人で贅沢に使う方もいらっしゃいます。
――ホテルではなく、貸切宿が選ばれる理由は何でしょうか?
やはり、大人数で泊まるとホテルよりも安くなることでしょうか。
また、とまりーとにはキッチンがあることも、大きな理由だと思います。長期滞在中、外食ばかりになってしまうと大変ですが、キッチンがあればご家族で料理ができるのが、ホテルとは違う点ですね。

――海外の方を意識して、お部屋作りで工夫していることはありますか?
極端に和風にしているわけではありませんが、施設によっては日本を感じられるような装飾を意識しています。法被を飾っている施設もありますね。

新宿、渋谷、不動前は私がデザインを手掛けたので、よく似た雰囲気の部屋になっています。ただ、私がデザインすると、重厚感のある雰囲気に偏りがちで……。そのため、立会川の施設は、アートの会社とつながりのある女性デザイナーにお願いして、明るい印象に仕上げました。その施設では、東京タワーのアート壁紙をあしらっています。


また、ポケモンのぬいぐるみをたくさん置いた部屋もあるのですが、海外の子どもたちにも喜んでもらえていますね。さらに、どこの施設にも、スーパーファミコンを置いています。旅行中に雨が降って出かけられなくなったときでも、子どもたちが退屈せずに遊べるようにと考えました。

――雨の日の気遣い、嬉しいですね。ほかにも設備面でこだわっている部分はありますか?
家具や家電は、どの施設でも統一して質の高いものを置いています。少しでも快適に過ごしてもらえるように、調理家電はBALMUDAのトースターやオーブンレンジ、テレビは55〜65インチの大型のものを置いていますね。
渋谷の施設以外は、ReFaのドライヤーやヘアアイロンも完備しています。良い家電があると、滞在中の気分も上がると思うので。洗濯乾燥機もあるので着替えをたくさん持たずに生活できますし、タオルなどもすべて揃えているので、手ぶらで来ても「暮らすように」過ごしていただけます。

――宿泊事業のほかに、現在展開している事業はありますか?
北海道で「空き家再生事業」という不動産賃貸業を行っています。相続に困って放置されている空き家を買い取り、リフォームして貸し出す事業です。現在は法人として建物を12軒ほど所有しています。
親が亡くなった際に家を相続したものの、所有者本人は遠方に住んでいるために放置されてしまっている空き家がたくさんあるんです。築40年ほどの物件が多いですね。当初は「高く売りたい」と考えて長く所有し続けたものの、時間が経つにつれて家がボロボロになり、最後は「売るに売れない」と困り果ててしまうケースもあります。そうした物件を引き取って修繕し、ご家族向けに貸し出しを行っています。
航空会社からの独立後、直面したコロナ禍の試練
――現在の事業に至るまでの経緯について伺います。起業する前はどのようなお仕事をしていたのですか?
新卒のとき、地元・北海道に本社がある航空会社に入社し、飛行機の誘導や荷物の積み込みなどの現場業務を行っていました。子どもの頃から飛行機を見るのが好きで、漠然と航空会社で働きたいと思っていたんです。そこで約17年間勤務し、2020年の7月に退職して独立しました。
――長く勤務していたのですね。独立し、不動産賃貸業や宿泊事業を始めたきっかけは何だったのでしょうか?
実は、航空会社で働きながら、2011年頃から副業として不動産賃貸業を始めていたんです。私の親が北海道で建築会社を営んでいて、家を直したり建てたりすることが身近でした。親がアパートを建てたのをきっかけに、私もワンルームマンションを買い、少しずつ物件を増やしていって。
その後、2019年の12月に個人で貸していた羽田空港近くの物件が退去になったタイミングで、「翌年、東京オリンピックがあるから民泊を開こう」と宿泊事業をスタートさせました。
――民泊事業は順調でしたか?
いえ、事業スタートからわずか2カ月後に、コロナ禍に直面して……。私の施設は空港から近かったこともあり、幸いなことにビザの更新などで一時帰国する方の「自主隔離施設」として選んでもらえたんです。
キッチンがあって食事が作れる点が重宝され、一度予約が入ると2週間ほどは滞在していただけました。周りの民泊施設が次々と廃業していくなか、なんとか持ちこたえることができましたね。
――ピンチを乗り越えたのですね。その後、事業はどのように展開していったのでしょうか?
実はそこから、自分でも「頭がおかしかったのかもしれない」と思うほど、一気にいろいろな事業を広げてしまったんです。当時は状況的にも宿泊需要が見込めず、「悪い時期だからこそ、何でも安く仕込めるのではないか」と考えてしまって。
2021年10月にはコロナ禍で債務超過に陥っていた美容室の会社を買収し、経営に乗り出しました。さらに同年12月は「飲食業を始めよう」と札幌で焼きそば屋をオープンしました。借金はしていませんでしたが、今の自分なら絶対に選ばないようなことをしていましたね。

――飲食業や美容室の経営まで!実際にそこまで事業を広げてみて、いかがでしたか?
リソースが分散しすぎてしまい、無茶な挑戦でした。
特に美容室の経営再建には、苦心しましたね。私は美容師ではないので現場のことは分からず、スタッフに「会社を良くしたい」という思いを言語化して伝えるのが下手だったんです。思いが伝わらず「悪意を持って会社を買ったのではないか」「どうせ投資目的だろう」と誤解されてしまい、スタッフとの信頼関係を築くことができませんでした。
当時は北海道での空き家再生や飲食店、東京での美容室の経営再建があり、北海道と東京を常に行き来する生活でしたね。とにかく、目の前の事業をなんとかすることに必死だったんです。その後、2022年11月に焼きそば屋を、2023年6月に美容室経営を手放しました。

「もっと話を聞けばよかった」最愛の妻との別れで空いた心の穴
――美容室経営を手放したのは、どのような経緯からですか?
実は、2023年の4月に妻が亡くなったんです。子どもたちは、当時まだ小学4年生と6年生でした。私は北海道と東京を行き来していましたし、東京の自宅の近くに頼れる親戚がいたわけでもありません。
当時はとにかく仕事に必死で……共働きの妻に、家のことや子育ての多くを任せきりにしてしまっていました。自分では「家族のために頑張っている」と思っていたのですが、結果として家族に多くの負担をかけていたのだと思います。
――辛い経験があったのですね。
妻が抱えている大変さや不安に、十分に向き合えていなかったと猛省しています。妻が亡くなってから、「もっと話を聞けばよかった」「もっと一緒に過ごす時間を作ることはできたのではないか」と何度も考え、後悔しました。
子どもたちもまだ小学生だったので、その後は私が一人で子育てをしなければいけませんでした。北海道と東京を行ったり来たりする生活は続けられなくなったため、北海道の空き家再生事業は新規の取り組みをストップしました。当時は、心のなかが空っぽになってしまったような感覚でしたね。
「事業を辞めるな」絶望のなか守り抜いた、北原氏との約束
――それからは、何を支えに事業を続けてこられたのでしょうか?
北原孝彦さんの「弟子区画(※)」に入っていたことが大きかったと思います。
妻が亡くなる数カ月前の2022年12月頃に、不動産事業者の集まりに参加したんです。そこで「美容室経営をしている」と話した際に、北原さんのことを紹介してもらいました。
経営に行き詰まりを感じ「どうすれば事業を軌道に乗せられるのか」と悩んでいたので、北原さんに憧れもあって。当時の北原さんは「年商50億円の社長」と謳っていたこともあり、「どうすればその域に達することができるのだろう」と思い、弟子区画に入りました。
※弟子区画:「3年間は挑戦から逃げない」と北原孝彦と約束した人が参加する。毎月の月報提出に加え、弟子合宿では全員が活動報告を行う。現在は募集を終了している。
――北原さんからは、どのような教えを受けたのでしょうか?
北原さんからは「どんなに辛い状況でも、ほかの人は続けているから事業を辞めるな」というニュアンスの言葉をかけてもらいました。
北原さんと約束をしたからこそ、毎月月報を提出すること、事業は絶対に辞めないことなどを守り抜けましたね。妻が亡くなった直後は喪失感でいっぱいでしたが、「弟子として月報は期日までに必ず出す」という約束だけは守り続けていました。

――悲しみのなかでも、歩みを止めなかったのですね。
はい。弟子合宿の際も、妻が亡くなる直前の一回だけは予定をずらしてもらいましたが、それ以外は継続して参加しました。約束したことを守り続けたことが、自分を支えていたのだと思います。
その後、弟子区画が終わるタイミングで北原さんから直接お声がけをいただき、現在の北原孝彦アカデミー(※)(以下、アカデミー)に入会しました。
※北原孝彦アカデミー:UBM(ビジネス行動管理大学)の学びをベースにしながら、北原孝彦のより近くで学ぶ区画。北原氏が直接指導にあたる。メンバーは経営スキルだけでなく、人としての在り方を学ぶ。
――アカデミーでの学びを通して、事業にも変化はありましたか?
まず、事業をしっかり整理できましたね。月報を出していると「整理しないといけないね」と指摘されることがあったんです。自分でもリソースが分散しすぎていてワケが分からない状態になっていたので、美容室の会社を手放す決断ができました。現在では、ほかの事業をストップして、宿泊事業の「とまりーと」に集中しています。
大切なのはお金よりも「人とのつながり」。価値観の大きな変化
――その後、中村さんご自身の価値観や心境に何か変化はありましたか?
はい。かつてはお金や売り上げを強く求めていましたが、今は「人とのつながり」を大切にしたいと思うようになりました。
以前、別の起業サロンに入っていたのですが、私が「辞めます」と伝えたら「分かりました」だけで、あっさりと終わってしまって。お金が切れたら関係もすべて切れてしまうのだなと、寂しさや虚しさを感じたんです。
――そこから「人とのつながり」をより意識するようになったのでしょうか。
そうですね。私が北海道の新ひだか町という田舎町で育ったことも、影響していると思います。
当時は町にコンビニはなく、近所の人に「醤油貸して」「塩貸して」と助け合うつながりがありました。近所の人が「早く家に帰らないと親に怒られるぞ」と注意してくれたり、家に帰ると、近所のおじさんが勝手にリビングに座っていたり(笑)。家の鍵も閉めていないような環境でしたね。


――現在はあまり見なくなった風景ですね。
そうなんです。こうした温かい原体験を振り返り、本当に大切なのは人とのつながりや、身近な人への感謝を忘れないことだと改めて気づきました。
今振り返ると、過去の私はお金や事業にばかり目を向けていたのだと思います。今は、子どもたちにも「人とのつながりを大切にする」という考えを持ってほしいと思っています。
「人が集まる街を作りたい」留学時代の原点から描く未来
――最後に、中村さんの今後の展望について教えてください。
将来的には、本格的なホテルを作りたいと思っています。そして、自分の地元に貢献し、昔のように人々がつながり合う「人が集まる街」を作りたいです。大げさかもしれませんが、同じ空間に人がたくさんいて、ワイワイつながっているような場所を、これからも提供し続けていきたいですね。
――「人が集まる街」……。その思いの原点は、どこにあるのでしょうか?
高校時代に1年間、アメリカに留学していたときの経験が大きいかもしれません。当時は寮に住んでいたのですが、短い休暇中は寮を出なければならなくて。留学生の先輩が電話で探してくれたビジネスホテルのスイートルームにエキストラベッドを入れてもらい、友人たちと5〜6人で集まってワイワイ過ごしたんです。30年前のことですが、そのときの楽しい思い出が、今の宿泊事業を始めた原点になっています。

――素敵な思い出ですね。そのために、現在取り組んでいることはありますか?
北原さんからアドバイスを受け、仲間を増やしていくために同業者向けの作業会や、これから民泊を始めたい人に向けた「ゼロイチ事業相談」を行っています。これは、アカデミーでも言われている「一人ぼっちをなくす」ための取り組みでもあります。同業者だからこそ共感できる悩みを相談し合ったり、みんなでワイワイ話したりできるコミュニティを作りたいんです。

ゆくゆくは宿をセミナー会場のように活用して、勉強会をした後にそのまま泊まって帰るような使い方もしてもらえたら嬉しいですね。過去にも、私の宿に10人以上が集まって、各自が地方から持ち寄ったものを一緒に食べたこともありました。
これからも「とまりーと」を通して、人が集まりつながる場所を作り続けていきたいです。

取材を終えて
中村さんは、寡黙だけど熱い思いを持っている方です。辛い経験を語るときも決して感情的にはならず、淡々とした口調のままでしたが、「人とのつながりを大切にしたい」「人が集まる街を作りたい」という言葉には、強い熱量がしっかりと伝わってきました。
その原点に、田舎での生活体験があると知り、「一軒家の貸切宿」というコンセプトがより腑に落ちました。仲間を集めて、実際に泊まりに行ってみたいです。
(記事制作:ひとひら企画/インタビュアー:渡辺まりこ、人生の軌跡グラフ制作:Emodea・相場綾香)
※掲載情報は2026年6月現在のものです。最新情報は公式サイト等をご確認ください。
